地獄でわかるボスの人間観
最後に右パネルの地獄を紹介します。地獄も特筆に値する面白さです。《干し草車》で紹介したように、少年期の大火の経験から、遠景では街が燃え盛り、その中で地獄が展開されています。
中央よりやや下に「楽器地獄」という、大きな楽器の地獄があります。 リュート、ハープ、手回し琴などの楽器が責め苦の道具となり、おぞましい罰が展開しています。リュートには人が磔刑にかかったようにくくり付けられ、ハープには弦に貫かれ、その隣では盲目者が手回し琴を回して、琴の中にはトライアングルみたいなものをもった人物が挟まれています。その右隣に悪魔が笛や太鼓で人間を苛んでいます。リュートに押しつぶされた人のお尻に楽譜が描かれていて、それを見ながらみんなが歌っているのですが、合唱団の隊長はカエルのような顔をしていて、楽譜を見ながら歌っています。音楽として成立している楽譜が書かれているのもボスらしいところです。
リュートの上には白い巨大な「樹木人間」と呼ばれる悪魔がいます。少し見える顔が第1回で紹介したようにボスの自画像と言われています。ボスは樹木人間の素描も残していて主要なテーマと考えていたようです。
樹木人間の頭の上には性的な比喩として使われるバグパイプという楽器が乗っています。足は船の上に置いてあり、胴体の中には宴会している人物たち、そこに上がっていこうとする梯子には奇妙な人物たちが見えます。樹木人間の左上には大きな耳からナイフが出ていて、ボスが生涯を過ごしたスヘルトーヘンボスで作られたナイフにあるロゴが刻まれています。またこの地方は楽器の製造も盛んだったことから、画中に取り入れたと考えられています。
画面の下には賭博をしている人物がいます。サイコロを頭に乗せた女性や、賭博している人たちがナイフに刺されていたり、賭博台がひっくり返されてトランプとサイコロが散らばっていたりする様子です。
その横にいる鳥の頭と奇妙な頭をもつ悪魔も面白い存在です。便器に座り人間を飲み込んでいて、その人のお尻からは鳥が飛び出しています。鳥人間は食べた人間を下の穴に排泄しようとしていますが、そこには嘔吐している人や、お尻から金貨を出している人がいます。これは大食と貪欲の罪を表していると言われています。
そのとなりで座っている女性の胸には淫乱のモチーフであるヒキガエルが置いてあります。地獄に落ちた淫乱な女性の性器の上にカエルを置くというのはよく中世の彫刻の地獄の表現にもありました。
緑の悪魔のお尻には鏡があり、女性の顔が写っていることから、《七つの大罪と四終》にもあった虚栄や傲慢の象徴です。七つの大罪というキリスト教的な罪を犯した者が地獄で苛まされている様子が表現されています。
また、鳥人間の後ろの女性の頭の三日月の旗は異教を表し、一番手前の豚の格好をした尼さんが男性に口づけしているのは、完全に聖職者批判でしょう。
全体を通して、左のエデンの園から水が流れ、快楽の園を通り、地獄の水は凍っていてスケートをしている場面になっています。「スケートに出かける」という諺は悪いほうに向かうという意味があり、それを表しているのかもしれません。
奇想天外でいながら、極めてキリスト教的な世界が描かれている《快楽の園》はいくら見続けても飽きることがありません。
さて最後に、フィリップ1世が注文した三連祭壇画《最後の審判》(1506年頃)について少しだけ触れましょう。通常、中央パネルはキリストによって最後の審判が行われますが、ここでは既に地獄の様相です。これは煉獄の様子だとされています。罪がない人は天国に上がりますが、人間は何かしら罪を犯しているので、罪を贖う煉獄という場所があると中世では考えられていました。
この絵では、中央パネル、右パネルにいる人々は恐ろしい悪魔によって切られたり、焼かれたり、刺されたりと激しく苛まれ、天国に上がる人がほんの数人しか描かれていません。これは良き人間はほとんどいないという、ボスの悲壮な人間観のあらわれなのではないでしょうか。
ボスの世の中を見る悲観的な目を知ったうえで絵を見ると、ただユーモラスな奇想の絵ではないことがより実感できると思います。
参考文献:
『謎解き ヒエロニムス・ボス』小池寿子/著(新潮社)
『図説 ヒエロニムス・ボス 世紀末の奇想の画家』岡部紘三/著(河出書房新社)
『名画の秘密 ボス《快楽の園》』ステファノ・ズッフィ/著 千足伸行/監修 佐藤直樹 /訳(西村書店)
『異世界への憧憬 ヒエロニムス・ボスの三連画を読み解く』 (北方近世美術叢書別巻) 木川弘美/著(ありな書房)
『ヒエロニムス・ボスの世界 大まじめな風景のおかしな楽園へようこそ』ティル=ホルガー・ボルヒェルト/著 熊澤弘/訳(パイインターナショナル)
『ヒエロニムス・ボスの『快楽の園』を読む』神原正明/著(河出書房新社)