宮殿を舞台にした歴史的な出来事
宮殿にはマリア・テレジアの娘・マリー・アントワネット(1755-93年)と天才作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791年)の幼い頃の微笑ましいエピソードが残されています。
1762年12月、6歳のモーツァルトは父や姉とともにシェーンブルン宮殿に招かれ、鏡の間で初めての御前演奏を行いました。モーツァルトはマリア・テレジアらの前で演奏して拍手喝采を受けますが、その後、磨き上げられた床で滑って転んでしまいます。するとひとりの少女が駆け寄り、助け起こしました。この少女が7歳のマリー・アントワネットでした。
この時モーツァルトは、「きみは優しい。大きくなったらぼくのお嫁さんにしてあげる」とプロポーズしたと伝わっています。
アントワネットとモーツァルトは2度と会うことはなく、その後アントワネットはフランス王ルイ16世の妃となりますが、民衆の反感を買って1793年、ギロチンの露と消えたのでした。
また、シェーンブルン宮殿は、1814年から15年にかけて開かれた「ウィーン会議」が開かれた場所としても知られています。フランス革命とナポレオン戦争後のヨーロッパの国際秩序の回復を図った会議ですが、諸国の利害が対立してなかなか進まず、「会議は踊る、されど会議は進まず」と風刺されたことは有名です。
そしてオーストリア=ハンガリー帝国最後の皇帝カール1世(1887-1922年:在位1916-18年)が国事から退くことを宣言して以降、宮殿の所有者はハプスブルク家からオーストリア政府へと変わりました。