この時代の植物園のあるべき姿とは

京都府立植物園のチューリップ花壇

 僕がこの植物園にまるで天国のような場所だと感じた特別な魅力は、その囲いの外に満ちる時代の空気とは別の理(ことわり)の空気を感じたからなのだろうと思う。そして、その道を極める「浮世離れ」への敬意は京都の美徳でもある。そのような意味でも、この植物園は「京都らしい」場所なのであろう。

 とはいえ、どこの街であっても時代の波に飲み込まれないようにあり続けるのは決して楽なことではない。京都府立植物園の長い歴史の中には幾度もそのような危機があったが、2021年に起こった騒動もそのひとつに数えられることになるかもしれない。

 植物園が位置する北山地区の再開発計画に伴い、希少種などを育てる植物園のバックヤードを縮小するなどし、その代わりに商業施設を大幅に拡充する案が浮上したのだ。ちょうど公園を巨大な商業施設として再開発した東京都・渋谷区のMIYASHITA PARKのオープンが話題となり、市民にとって公園とはどのような場所であるべきかが議論となっていた頃であった。この植物園の再整備案も京都で大きな議論を巻き起こすことになる。

「植物学の庭」としての植物園の心臓部であるバックヤードを縮小する案は、ある意味で植物園の存在意義を変えるものであるといえるかもしれない。しかし、この転換は植物園の収益性を高め、そして、より「にぎわい」を生む場所に変える可能性もある。この再整備案をきっかけに、人々はあらためて、今、この時代に植物園のあるべき姿を考えることになった。

 結論からいうならば、京都の人々がこれを受け入れることはなかった。この再整備案は当局の予想を上回る市民の反対を突き付けられ、運動と対話の結果、その方向性は大きく修正されることになったのである。僕の天国はひとまず守られることになったようだ。

 

地下鉄で通う天国

 数か月ぶりに訪れた午後の植物園は霧のような雨だった。百合だろうか。立ちこめる湿度を纏って、遠くからいっそう重く濃厚な花の香りがする。森に分け入っていくと温かい土の匂いにかわり、さらに遠くからせせらぎの音が聞こえる。傘に当たる細かな雨音、自分の靴が柔らかい土を踏み締める音、すぐ近く、膝よりも低いところから鳥の声がする。ぬらりと濡れた葉の緑は黒々と光り、見上げても先の見えない巨木から天蓋のように大きな枝が雨粒を浴びながら空を覆う。やはり、なんと豊かで静かな場所だろうと思う。

 植物園が誕生した背景には大英帝国の植物政策があったと論じた川島は、「固有の植物相ということからいえばイギリスは、著しく貧弱なのである」とも述べている。その故郷ゆえに、彼らは情熱的に世界中から種を集めた。その故郷ゆえに、執念をもって、囲いのなかに故郷では咲かない花を咲かせようとした。やはり植物園はすぐそばにあるとても遠い世界なのだ。

 たしかに天国というのはこれくらいさりげないものなのかもしれない。胸いっぱいに透明な空気を吸い込みたいときのために、年パスはまだ持っておこう。

 京都府立植物園、地下鉄で通える天国である。

 

<参考文献>
川島昭夫1999『植物と市民の文化』山川出版社.
同上2022『植物園の世紀 イギリス帝国の植物政策』共和国.
小宮豊隆編1963(1947)『寺田寅彦随筆集 第1巻』岩波文庫.
永田和宏2022『あの胸が岬のように遠かった 河野裕子との青春』新潮社.
梨木香歩2012(2009)『 f 植物園の巣穴』朝日新聞出版.
松谷茂2011『とっておき!名誉園長の植物園おもしろガイド』京都新聞出版センター.