「ありえない」庭園
それにしても実に不思議な光景である。瀟洒なレストランが立ち並ぶ駅前通りにとつぜん巨大な森が出現するのだ。
たとえば、小説『f植物園の巣穴』において梨木果歩は「植物園に限らず、園と名のつくものは境界、つまり囲いがあってはじめて、その意義を持つ」と述べている。
たしかに植物園が植物園たりえる条件も、周囲から囲われた異質な空間ということであろう。そもそも植物園とは、その囲いのなかをそこには存在しないはずの草木で埋め尽くした空間だからだ。
京都府立植物園の名誉園長・松谷茂も、この豊かな森に包まれた植物園が、「賀茂川の河川敷だから肥えた土が洗い流され、実は樹木の生育に適しているとはいえない」土地に立地していると説明する。
園内唯一の自然林であり古代の山城盆地の植生を残す「なからぎの森」以外の広大なエリアを埋め尽くす植物のほとんどは、勝手にそこに生えているなどというものではない。世界中から集められ、「過保護」と自嘲気味に語られるほどの努力によってようやく根付いたものなのだ。
「花は勝手に咲きません。咲かせています」
松谷をふくめ園内のスタッフたちがそう繰り返すように、豊かな森に見えるこの空間は決して自然にそこに存在する森ではない。専門知に裏打ちされた人々の手が隅々まで行き渡ることによってようやくそこに存在することが可能となっている「ありえない森」、いわば奇跡のような森なのである。
もうひとつの京都の美学
「京都といえばお寺に舞妓さん」という観光イメージのせいだからだろうか。この植物園は京都で生まれ育った人々にはもちろんなじみの深い場所なのであるが、京都を何度も訪れているいわゆる「京都ファン」のなかでも、まだ足を運んだことがない人も多いかもしれない。
しかし、本連載でもたびたび言及しているように、京都は千年の伝統をもつ都である一方、わが国でもっとも高密度に大学などの研究機関や高等教育機関が集積されてきた近代的「学都」でもある。そのような京都の二面性から考えると、この植物園の魅力がより明確になるかもしれない。
たとえば禅の宇宙を表現する禅寺の庭や、季節の移り変わりを日々の暮らしに映し出す京町家の坪庭が千年の都としての京都の伝統的美学を表現する庭園とするなら、もう一方の京都の顔である近代的学都としての美学を表現する庭園は、この植物園といえるのではないだろうか。
植物園の歴史を論じた西洋史学者の川島昭夫は、庭園と植物園の境界は曖昧であり、「何が植物園であるか」を決定するのはじつは容易なことではないと指摘する。だからこそ、植物園が「植物の」ではなく「植物学の」庭園(botanic garden)であることへの着目が重要なのだという。つまり植物園とは、植物学の進歩とその公開を目的とする空間であり、私たちがそこで目にするものはなによりも植物学という学問の精華なのだ。
そういえば、物理学者であり優れた随筆家として知られる寺田寅彦は「世間には科学者に一種の美的享楽がある事を知らぬ人が多いようである」と皮肉を一枚噛ませたうえで、このようなことを言っている。
「物理化学の諸般の法則はもちろん、生物現象中に発見される調和的普遍的の事実にも、単に理性の満足意外に吾人の美感を刺激することは少なくない(中略)この種の美感は、たとえば壮麗な建築や崇重な音楽から生ずるものと根本的にかなり似通ったところがあるように思われる」
人の手が作り出す美にはそれぞれ精神が宿っている。禅寺の名庭を前にして日々の雑事を忘れるとき、私たちは深遠な禅の精神に触れているのだろうし、京町家の坪庭に差し込む光にため息のような歓声をあげるときには京都人の繊細な生活文化の精神に触れているだろう。もちろん、僕が不思議な森を眺めながら暮らしたあの愛すべき老婦人のようなマンションも。
そうであるならば、この植物園で感じる凛と肺に透き通るような明晰な空気はまさに、科学の精神が見せてくれる美しさなのだろう。
ゴシック聖堂の大伽藍を思わせるくすのきの並木道でそんなことを考えていると、細胞生物学者であり歌人でもある永田和宏が京都で学問と青春に明け暮れた頃に詠んだ若い歌を思い出した。
スバルしずかに梢を渡りつつありと、はろばろと美し 古典力学
永田和宏