政治的に正しい?黒人カメオ、象牙、そして旧植民地のダイヤモンド

本間 シールといえば、もとはこれにインタリオ(沈み彫り)が施されていました。インタリオはインタリオで独立し、紀元前3世紀ごろにはカメオ(浮き彫り)も登場します。ハードストーンと呼ばれる厚みのあるメノウの色層のコントラストを活かして彫刻したのが始まりです。

中野 古いものは英雄の横顔が多いという印象ですね。

本間 横顔はシルエットになりやすいですからね。カメオを彫刻する人は芸術家として扱われていました。ただ、ヴィクトリア時代になると、ラーヴァ(溶岩)に彫るカメオも登場して、さまざまな顔が彫られ、女性のファッションアイテムになっていきます。

《ハードストーンカメオ&エナメルペンダント》 カメオ:19世紀初頭 イタリア ルイジ・イスラー フレーム:1870年頃 イギリス カルロ・ジュリアーノ

中野 黒人女性とおぼしき顔を彫ったカメオもありますね。

本間 ブッラッカムア(ムーア人)ですね。あるイギリスの公爵夫人がメーガン・マークルに会うときにわざとこれをつけていったというニュースがありました。嫌みのつもりで。

《ハードストーンカメオ&ハーフパールブローチ》1860年頃、フランス

中野 今も昔もなかなか手ごわい社会ですね、イギリスの貴族社会は。政治的に扱いが微妙になるアイテムといえば、象牙(アイヴォリー)はいかがですか? ヴィクトリア時代には象牙のアクセサリーが多々作られていますが、現在は取引そのものも禁止されています。当時は残酷だとは思われていなかったのでしょうか? 

本間 どうやって象牙をとっているのか、知らされていませんでしたからね。牙しか見たことがなかったので残酷なイメージもわかなかったのでしょう。エキゾティックでオリエンタルなジュエリーとして好まれました。

中野 現代なら毛皮と同様、つけていたら動物愛護団体から卵をぶつけられそうです。脱植民地化が進んでいる現代に政治的に微妙なものとしては、英王室にはいわくつきのダイヤモンドもあります。インド原産のコ・イ・ヌールが筆頭格ですが。

本間 旧植民地のインドや、タリバンまでも返還を求めて物議を醸していますね。

中野 コ・イ・ヌールはインドのシク王国との戦争に勝った東インド会社軍が1849年に最後のマハラジャから接収して、条約上、ヴィクトリア女王に献上されています。女王がこのダイヤのブローチをつけた写真も残ってますね。でも、「RRR」という衝撃のインド映画を見たあとでは、これはインドに返さなきゃならないものなのではという感じもうっすらしています。

本間 え? そういう映画なんですか?(笑)。いずれにしても、まだこの頃はカットが粗くて今のようには光りませんね。今回展示されているものも、肖像画などでは黒っぽく見えます。1870年代にアフリカ各地にダイヤモンド鉱山が見つかって、イギリスへの供給も増え、ようやくダイヤモンドのデザインや磨きが洗練されていきます。

フランツ・ヴィンターハルター「コ・イ・ヌールのブローチをつけたヴィクトリア女王」(1856年)※本展には未出品

中野 なるほど。コ・イ・ヌールも1919年のメアリー(・オブ・テック)王妃の王冠に収まるころにはかなり輝いています。

本間 カミラ王妃がこれを被りましたが、コ・イ・ヌールはレプリカさえ避けられていましたよね。

チャールズ英国王戴冠 右がカミラ王妃 写真提供=Hugo Burnand/Royal Household 2023/Camera Press/アフロ

中野 結局、その位置にはカリナン5世がセットされていました。カリナンはカリナンで返還を求める声もあって、植民地にゆかりのあるジュエルズの扱いに関しては、これからますます繊細に注意を払っていかなくてはならないでしょうね。

本間 こうなってくるとジュエリーが政治的な問題と絡んできて今後も目が離せませんね。それにしても、このコレクションを全部見て、人間が身を飾りたい欲望というのはこんなにもすごいものを生むのかとあらためて感じ入っています。中野さんはいかがですか?

中野 ヴィクトリア時代の女性って、コルセットやクリノリンで身体が拘束された上に、リスペクタブルに振舞わねばならないなど心理的にも抑圧されていたじゃないですか。そんななかでもあふれる感情をどこかに発散させたい、吐露したいという欲望がこんな小さなジュエリーに表現されていて、ちょっと心打たれました。

本間 ジュエリーが感情のはけ口になって抑鬱を防いでいたところもあるかもしれませんね。

中野 強い感情は時代を超える。AI時代にも生き残るものは何かを考えさせられました。