ジェットの今昔とパールの多様性

中野 髪や目まで使ってまで愛情表現をするというのは、やりすぎという印象を受けるのですが。

本間 当時は喪の期間が長かった、ということもあるでしょう。未亡人は2年くらい喪に服す必要があったはずです。とはいえ、服喪にも段階があって、時間が経つと、ちょっとずつつけていいものが増えていきます。その期間に、なんでそこまでというくらい過剰に感傷を表していたんです。あえて「私は悲しんでいるんですよ」というアピール、「ここまで亡き人のことを思っているんですよ」という表現をしていたのではないでしょうか。

モーニングジュエリーとともに飾られたドレス

中野 なるほど、感傷のアピールですか。ヴィクトリア女王もアルバート公亡き後、何十年も喪に服していましたね。黒い喪服に合わせて漆黒のジェットをよくつけていたので、ジェットは喪のジュエリーというイメージを持つことになりましたが。

本間 ジェットは地面のなかに堆積した流木が化石化したものです。見た目よりも軽いこともあって、女王の時代には巨大なアクセサリーも作られていますね。でも世紀末にウィトビーの鉱山が閉鎖されて、今、市場に出回っている新しいジェットは中国産ですね。ヴィクトリア時代のジェットのような大物はほとんど見ません。

中央《ジェットブローチ「ゼウス」》1870年頃、イギリス
下《ジェットネックレス》1870年頃、イギリス

中野 集古館地下のギフトショップのジェット・アクセサリーもよく売れているそうですが、現代でもおしゃれにつけられますね。つやつやの黒がゴスやロックのテイストに合う。

本間 喪じゃなくてもいいですよね。というより本場では、いま喪にジェットなんてつけません。エリザベス女王の葬儀の時に雅子皇后はどなたか側近のご助言に従ってジェットをつけていかれましたが、現地に行ってみたら、誰もジェットをつけていませんでした。

中野 パールやダイヤモンドが多かったですね。キャサリン妃は故エリザベス女王の思い出につながる三連パールなどもつけていました。日本では真珠は涙の象徴とされ、悲しみを重ねないという意味で一連に限るとされていますが、世界のなかではむしろ特殊なルールです。パールといえば、ヴィクトリア朝のパールは砂粒みたいなシードパールが多いですね。

本間 まだ養殖真珠が発明されていないこともあって、芥子(けし)粒のようなシードパールが多用されています。これね、手間と時間がおそろしくかかっているんですよ。セイロンのアコヤガイからとるのですが、ダイバーが貝をとってきて、まず貝を腐らせるのです。それを洗い流した後にパールを拾い集めます。米粒の三分の一の大きさの、芥子粒みたいなのを。それを白馬の尻尾の毛でつないでいるんですよ。

《シードパールネックレス&イヤリング》19世紀初期 イギリス

中野 東方貿易がもたらしたものなんですね。それがこんな繊細なティアラやパリュールになっているとは。気が遠くなります。

本間 乳白色のシードパールのアクセサリーは揺れる少女のはかなさも表現しました。固定が難しいので金の粒で周囲を固定しています。

中野 かと思うと、巨大なバロックパールのペンダントもありますね。完全な球体の真珠ではない多様な真珠の世界が広がります。