文=青野賢一 イラストレーション=ソリマチアキラ

 

 第二次世界大戦後の政治、経済、文化に影響を与えた人物の訃報が続いた2022年。2月に英国君主として初の即位70年を迎えたエリザベス女王2世、映画監督のジャン=ジャック・べネックスとジャン=リュック・ゴダール、歌手のオリヴィア・ニュートン=ジョン。国内では安倍晋三、石原慎太郎といった政治家、ファッション・デザイナーの三宅一生と森英恵、映画監督の青山真治、大森一樹、崔洋一、作曲家の一柳慧などがこの世を去った。そしてアメリカのジャズ・サックス奏者、ファラオ・サンダースも。

アルバム『Promises』の46分にわたる音楽旅行

 ファラオ・サンダースに関する直近のトピックスは、なんといってもイギリスのプロデューサー、DJのフローティング・ポインツことサム・シェパードとのコラボレート作品『Promises』だろう。

 2021年にリリースされたこのアルバムは、フローティング・ポインツとファラオ・サンダース、そしてロンドン交響楽団が共演したもので、曲は“Movements”と称される9の楽章からなる「Promises」1曲のみ。幽玄な調べの反復に電子音やサックスが少しずつ重なる序盤を経て、ファラオ・サンダースのサックスが俄然存在感を増すMovements 5。Movements 6では冒頭からのテーマが繰り返されるなかストリングスが心に染み入る旋律を奏で、この楽章でいったん混沌とカタルシスを迎える。続くMovements 7でふたたびファラオ・サンダースのサックスが厳かに響き、またフローティング・ポインツによるエレクトロニクスが空間性を楽曲にもたらして、それに呼応するかのようにサックスが咆哮。Movements 8の終盤から最終楽章に至ると、ひとりで宇宙空間を漂っているような孤独感––––たとえばデヴィッド・ボウイ「スペイス・オディティ」でトム少佐が感じたそれにも似た––––が訪れて46分にもおよぶ音楽の旅は幕をおろす。

 ジャケットのスリーヴのスリットから覗くインナー・スリーヴに配された、エチオピア出身のアーティスト、ジュリー・メレツのペインティング《Congress》も美しいこのアルバムがファラオ・サンダースの最後のスタジオ録音作品となってしまったのは実に残念である。

ニューヨークでの前衛ジャズとの出合い

 ファラオ・サンダースは1940年、米アーカンソー州リトル・ロック生まれ。ジャズ・ミュージシャンだとハービー・ハンコックは同い年、チック・コリアはひとつ下にあたる。またロック寄りのアーティストではジミ・ヘンドリックス(1942年生まれ)、スライ・ストーン、ジャニス・ジョプリン、ジョニ・ミッチェル(いずれも1943年生まれ)などが比較的近い世代といえるだろう。

 子どもの頃にクラリネットを手にしたファラオ・サンダースはその後にテナー・サックスへ転向。高校ではバンド活動も行っていたという。カリフォルニア州オーランドの大学に通うことになったファラオ・サンダースはそこでも演奏活動を続け、いよいよ本格的に音楽をやっていこうとニューヨークに移住する。1962年のことである。

 ニューヨークに移ってからしばらくはなかなか芽が出なかったが、1964年にアフロ・フューチャリズムの先駆者で作曲家、鍵盤奏者、そして音楽集団「アーケストラ」のリーダーでもあったサン・ラーと接点を持つことができ、短期間ではあるがこのアーケストラにも参加。徐々に道がひらけていった。また同年には前衛的な作風で知られるトランペット奏者のドン・チェリーやピアニストのポール・ブレイらとも演奏し、9月には初となるアルバム『Pharoah』をファラオ・サンダース・クインテット名義でリリースするに至った。

 このアルバムはA面1曲、B面1曲からなるもので、後述するジョン・コルトレーンとの活動以後の1960年代後半から70年代にかけての作品に比べるとストレートなジャズといった面持ち。伸びやかなプレイを聴くことができる。

コルトレーンとの活動とヒッピー・ムーブメント

 こうして晴れてアルバム・デビューを果たしたファラオ・サンダースだが、その翌年からのジョン・コルトレーンとの活動––––コルトレーンの死によってごく短期間となってしまったものの––––は、彼のキャリアにおいて大きな意味のあるものであった。

   現在まで名盤として聴き継がれている『A Love Supreme』を1964年に発表したコルトレーンは、翌年になると本格的にフリー・ジャズに接近し、アルバム『Ascension』を録音する。ファラオ・サンダースは、それぞれ40分前後の2曲からなるこのアルバムに参加。以後、グループの一員として1967年まで活動をともにしたのだった。

 同グループ在籍時には2作目のリーダー・アルバム『Tauhid』をリリース。エジプトを題材にした「Upper Egypt & Lower Egypt」や鈴の音とオリエンタルな旋律が印象的な小品「Japan」を収録した本作だが、縦横無尽に吹きまくった「Aum-Venus-Capricorn Rising」が圧倒的だ。

 師と仰ぐコルトレーンの死後は失意のあまり活動も停滞気味だったファラオ・サンダースだが、徐々に立ち直りを見せ、1969年には『Izipho Zam』や『Karma』といった後年までスピリチュアル・ジャズの名盤と評される作品を発表する。特に『Karma』に収録されている30分超の「The Creator Has A Master Plan」はこの時期のファラオ・サンダースを代表する一曲。中盤の混沌としたパートからテンポ・アップしてレオン・トーマスのヨーデル風ボーカルが重なってくるところの高揚感はたまらないものがある。

 ところで、先にファラオ・サンダースと比較的世代の近いロック系アーティストの名前を挙げたが、彼、彼女らはヒッピー、サイケデリック・ムーブメントのなかで高い人気を博したのはご存じのとおり。

 ムーブメントが最高潮にあった1960年代の終わりにリリースされた『Karma』は、「The Creator Has A Master Plan」の”The Creator Has A Master Plan––––Peace and Happiness For Every Man.”という歌詞や、この時代らしい装いのファラオ・サンダースが禅やヨガを想起させるポーズで写るジャケットのアートワークなどから、前述のロック文脈のミュージシャンの楽曲と同等に聴かれていたのではないだろうか。ちなみに『Karma』は同年のビルボード・チャートで最高4位まで上昇している。

音楽表現が広がる1970年代

 時代のムーブメントと呼応して多くの人に届いた『Karma』がファラオ・サンダースのピークだったかといえば、そうではない。1971年のアルバム『Thembi』では「Astral Traveling」などのオーガニックでピースフルな楽曲と先鋭的なフリー・ジャズ・タッチの曲がバランスよく並び、『Wisdom Through Music』(1973)では躍動感あふれるアフリカン・リズムを採用したりインド音楽に接近したりと、自身の音楽的表現に広がりと奥行きを持たせつつ歩みを続けた。

『Wisdom Through Music』に5分ちょっとのバージョンが収録され、翌年、20分近くの曲として再演、アルバム『Love In Us All』に収録された「Love Is Everywhere」は1970年代のファラオ・サンダースの代表曲のひとつである。

クラブ・ジャズとしてのファラオ・サンダース

 1979年にカリフォルニアへと拠点を移したファラオ・サンダースは1980年にアルバム『Journey To The One』を発表。イドリス・ムハマド(ムハンマド)、エディ・ヘンダーソン、ボビー・マクファーリン、ジョー・ボナーらを迎えて制作したこの2枚組のアルバムでファラオ・サンダースは、オーセンティックなジャズと前衛、オリエンタル~インド指向、また後年「バラードの名手」と称されるようになるのが頷ける美しいバラードなどがクロスオーバーする新境地を切り拓いた。

 本作収録の「You’ve Got To Have Freedom」はクラブ・ジャズ・クラシックスとしてよく知られているナンバー。私が初めてファラオ・サンダースの名前を意識したのはまさにこの曲だった。

 出合いはこのオリジナル・アルバムではなく『Jazz Juice』というコンピレーション・シリーズの7作目。1988年リリースで、入手したのもその年だった。アルバムのコンパイラーがイギリスのDJ、ジャイルス・ピーターソンであることから、「You’ve Got To Have Freedom」が当時のロンドンのクラブ・ジャズ・シーンで人気だったことが窺えるだろう。

 このシリーズを筆頭にロンドンでのジャズの盛り上がりが徐々に日本にも伝わってきて、1990年代初めあたりにファラオ・サンダースを筆頭とする1960年代後半から70年代にかけてのスピリチュアル・ジャズ作品への評価が日本のクラブ・シーンにおいて高まるのである。また、ビル・ラズウェルがプロデュースを担当し、グナーワの音楽家マフムード・ギニアとコラボレーションした1994年のアルバム『The Trance Of Seven Colors』も大きな話題となった。

 21世紀に入ってからは、スタジオ録音盤は減少するも演奏家として精力的に活動したファラオ・サンダース。常に新しいことに挑戦しながらも、その音楽にしっかりとシグネチャーが感じられるのは驚くばかりである。

 そういえば、2017年に「モントルー・ジャズ・フェスティバル・ジャパン」で来日公演を行った際のいでたちは、ルーズフィットのデニムにロングスリーブTシャツ、その上から半袖のプリントシャツを着て頭上にはキャップというストリート感のあるものだったが、シャツの生地はしっかりアフリカン・バティックだった。