文=青野賢一 イラストレーション=ソリマチアキラ

本質を見失うことなく歩みを続ける

 夢を諦めない姿勢と、心躍るエンターテインメント体験のエモーションを描いた映画『SING/シング』(2017)。マシュー・マコノヒー、スカーレット・ヨハンソンといった豪華なキャラクターボイス陣(この作品に登場するのはすべて動物である)が話題となったが、同時にキャラクターたちが歌うフランク・シナトラやレディー・ガガ、スティーヴィー・ワンダーらの楽曲により、洋楽ファンからも熱い視線が注がれていた作品である。この続篇『SING/シング:ネクストステージ』が3月18日より公開される。

 さらに大きな夢––––タイトルに違わず文字通りのネクストステージ––––へと邁進するキャラクターたちの奮闘と団結を、前作同様新旧織り交ぜた楽曲で彩るこの作品。U2のボノが初めて声優を務め、またクライマックス・シーンでU2の新曲「Your Song Saved My Life」が使われているということで大きなニュースとなった。そこで今回はアイルランド・ダブリンが生んだ世界的バンド、U2を取り上げようと思う。ちなみに『SING/シング:ネクストステージ』でボノが演じるのは、伝説のロックスターだがもう15年も表舞台から遠ざかり隠遁生活をしているクレイ・キャロウェイというキャラクターである。キャリアの長いバンドであるから、本稿ではすべてを追うことはせず活動初期に絞って話を進めていければと思う。

 

サード・アルバムで初の全英チャート1位に

 U2は1980年にアルバム『ボーイ』でデビューするが、結成のきっかけはそれから4年ほどさかのぼった1976年のこと。メンバーはボノ(ヴォーカル、ギター)、ジ・エッジ(ギター、ピアノ、ヴォーカル)、アダム・クレイトン(ベース)、ラリー・マレン(ドラムス、パーカッション)で、現在もオリジナル・メンバー4名で活動を続けている。この時代らしく、パンクに影響を受けたサウンドでスタートを切ったバンドは、ほどなくして地元で評判となり、1979年には「Three」というタイトルの3曲入りEPを〈CBS〉よりリリースすることに。翌年、〈Island Records〉と契約を結び、デビュー・アルバム『ボーイ』を発表した。〈Island Records〉はクリス・ブラックウェルが1959年にジャマイカで設立したレーベルで、のちにロンドンに拠点を移しロンドンの移民たち向けにレゲエのレコードを発売していたが、U2が契約した頃にはグレイス・ジョーンズやロバート・パーマーといった先鋭的なロックやポスト・パンク、ニューウェーヴ、ダンスミュージックなどをアメリカをはじめとする各国のメジャー・レーベルにライセンス・アウトしていた。そのため、『ボーイ』もイギリス、アイルランドだけでなく多くの国で発売されることとなったのである。

 このリリースに合わせ、U2はイギリス・ツアー、ベルギーとオランダでの公演を行い、それからアメリカ・ツアーを敢行。その成果もあって、『ボーイ』は1981年3月には全米チャートで63位、8月に全英チャートにもランク・インしている。続くセカンド・アルバム『アイリッシュ・オクトーバー』(1981)は、アメリカではデビュー作ほどふるわなかったものの全英で11位を記録。そして1983年、「Sunday Bloody Sunday」「New Year’s Day」といった彼らの代表曲を含むサード・アルバム『WAR(闘)』で初の全英チャート1位を獲得し、人気は高まる一方であった。

のちも変わらない、飾り気のないファッション

 初期3作品の頃の彼らのいでたちを見ると、ライダースやデニムなどパンクロックを聴いてきた者らしい服装で、この時代の音楽とファッションの共犯関係が如実に表れた「ニューロマンティック」のような華美さ、ファッショナブルさは一切ない。ヘアスタイルにもどこか無頓着さが感じられて、このあたりはロンドンのバンドとずいぶん異なる印象だ。こうした飾り気のなさは時代が下ってもさほど変わらないといえるだろう。

 『WAR(闘)』発売後に行われたツアーの模様を収めたライブ・アルバムとビデオを挟んで1984年にリリースされた『焔』は、ブライアン・イーノとダニエル・ラノワをプロデューサーに迎えた作品。U2らしい情感豊かなメロディとロックの疾走感はそのままに、適度なリッチさや音楽的な広がりをもたらした見事なプロデュース・ワークが感じられる本作は、全英でダブル・プラチナ、全米ではトリプル・プラチナとなった。そして1985年7月の「ライヴ・エイド」(アフリカ難民救済を目的としたチャリティ・コンサート。イギリスのウェンブリー・スタジアム、アメリカのJFKスタジアムで同時開催され、世界各国に衛星同時生中継された)に出演し、パフォーマンスを披露。存在感を世界に示し、確固たる人気、評価を獲得することとなったのである。

 

名作『ヨシュア・トゥリー』リリースの頃

 リリースとライブを重ね、ライブのスケールがスタジアム級まで大きくなろうとしていた1987年、アルバム『ヨシュア・トゥリー』が発売される。『焔』同様、ブライアン・イーノとダニエル・ラノワがプロデュースを務めたこのアルバムは、1988年のグラミー賞最優秀アルバム賞を受賞し、大きな成功を収めた。「Where The Streets Have No Name」「I Still Haven’t Found What I’m Looking For」「With Or Without You」とアルバム冒頭から人気曲が並ぶが、全体的には抑制の効いたトーンでまとまった作品である。

 話はやや横道に逸れるが、筆者はこのアルバムが出た当時は大学1年で、サーフィンをやっていた友人たちと一緒に海に遊びに行くことが何度かあった(私はサーフィンはできないので海岸でぼんやりするだけだった)。みんなでクルマに乗って向かっていると、次第に海の気配が近づいてくる。早朝、もう少しで海というところに差し掛かると、友人はカーステレオにカセットテープを入れて「I Still Haven’t Found What I’m Looking For」を再生した。曰く、「これから海に入る」という高揚感やじわじわと募る期待とこの曲のムードがぴったり合うのだそう。なるほど、そういわれてみれば実にしっくりくるな、と私は思ったものだ。それ以来『ヨシュア・トゥリー』を考えるとき、いつもこのエピソードが頭に浮かんでくるのである。ちなみに、冒頭に記した映画『SING/シング:ネクストステージ』では、書き下ろしの「Your Song Saved My Life」のほか、本アルバムの「Where The Streets Have No Name」と「I Still Haven’t Found What I’m Looking For」がピックアップされている。いずれもキャラクターボイスを演じる面々による、ここでしか聴くことのできないバージョンだ。

 

激動の90年代にもブレなかった軸

 ライブ録音の曲やコラボレーション曲などを収録し趣向を凝らした『魂の叫び』(1988)、前2作のブルースやフォークからの影響に代わってややダークなヨーロッパ的イメージ––––ベルリンの壁の崩壊に代表される混迷と動乱のヨーロッパといった––––が感じられる『アクトン・ベイビー』(1991)、エレクトロニクスの導入やファルセットを取り入れた新たな歌唱アプローチが光る『ZOOROPA』(1993)、そしてトリップホップの第一人者として知られるハウィー・Bがプロデュースやターンテーブルで参加し彩りを添えた『POP』(1997)と、世界情勢の変化や音楽を取り巻くテクノロジーの進歩が見られた1980年代終盤から90年代にあっても、U2は軸をぶらさずに活動を続けた。

 古くから活動をスタートし、長いキャリアを持つバンドやアーティストが、新たなテクノロジーをはじめとする社会の変化にいかに対応するかは、ポピュラーミュージックにおいては重要な問題の一つである。新しいからというだけで最新技術を取り入れたり、勢い流行りに乗ってしまったりして、バンドやアーティストの本来の良さが見えにくくなってしまう事例が多数あるなかで、U2はそれぞれの時代の空気がありながらも、まさしく「U2の音楽」としかいいようのない作品をずっと生み出している。新曲「Your Song Saved My Life」を聴いてもその印象は変わることがない。すごいことである。

 自分たちの表現の核となる部分を理解したうえで、それをその時々でトランスレートするのに最適なプロデューサーやコラボレーターを起用し、トレンドにおもねることなく音楽を続けるU2。と、こう書いてみて、その姿勢はたとえばある程度歴史のある企業やブランドがいかに本来的な個性を失わずに時代を進んでゆくかといった問題にも通じるものがあるのでは、とふと思った。