文=青野賢一 イラストレーション=ソリマチアキラ

 2021年11月にリリースされた、スネイル・メイルのセカンド・アルバム『Valentine』がすこぶるいい。ざっくりと分類するならばインディ・ロックということになるのだろうが、一般にイメージされるそれを逸脱する多彩な楽曲群や、ファッションに関心のある人なら間違いなく気になってしまうアートワーク、ミュージックビデオなど、実に完成度の高いアウトプットにすっかり魅了されてしまった。

 スネイル・メイルは、シンガー・ソングライター、リンジー・ジョーダンのソロ・プロジェクト。1999年、ボルチモア郊外で生まれたリンジーは16歳のときに地元のパンク・レーベルからEP『Habit』をリリースし、「Pitchfork」や「ニューヨーク・タイムズ」などのメディアで賞賛される。その後、ヨ・ラ・テンゴやペイヴメントを擁するニューヨークの名門インディ・レーベル〈Matador Records〉と契約し、2018年にデビュー・アルバム『Lush』をリリース。同年秋には来日公演も実現している。

 

痛み、悲しみと甘美な追憶が詰まった『Valentine』

 『Lush』はリズム隊とギターを中心とした、1990年代のオルタナティブロックにも通じるローファイなサウンドでみずみずしい印象。歌詞に綴られているティーンならではの葛藤や悩みがストレートに伝わる内容だ。

 このアルバムのリリースによって、一層人気が過熱し、ツアーなどそれまでとは比べものにならないほどの忙しさを体験したリンジーはすっかり疲弊してしまった。そこにやってきたのが新型コロナウイルスによるパンデミックと感染拡大防止のためのアイソレーション措置。これが思いがけない休息を彼女にもたらした。

 また同じ頃、恋愛において深刻な別れを経験し(そのダメージから45日間ほどアリゾナのリハビリ施設に入所していたという)、そうして彼女が「カタルシスとセラピーと呼ぶことすら、すごく控えめな表現になる」と称する、痛み、悲しみ、そして甘美な追憶が詰まったアルバム『Valentine』が完成したのである。

 

物語としての楽曲を伝えるサウンド・プロダクション

 ボン・イヴェールやワクサハッチーのプロデュースで知られるブラッド・クックを共同プロデューサーに迎えた『Valentine』で特筆すべきは、楽曲スタイルのバリエーションだろう。前作で聴かれた疾走感のあるギター中心のサウンドを継承している曲もあるが、ピアノやシンセサイザー、曲によってはストリングスを配して、物語としての楽曲をより正確に表現することに成功している。

 冒頭を飾るのはアルバムのタイトル・チューン「Valentine」。穏やかなAメロから、ぐっと音数が増えエモーショナルではあるけれど、どこか冷めた/覚めた印象もあるサビへの展開が耳に残る曲だ。続く「Ben Franklin」はシンプルなビートのミディアム・チューンで淡々と進行するが、バックの演奏をよく聴くと実に繊細に作られていることがわかる。

 3曲目「Headlock」はギターのメロウなストロークと歌が引き立つサウンド・プロダクションでインディ・ロックらしい仕上がり。この曲から次のアコースティック・ギターをメインに据えた「Light Blue」、そしてマイナー調のミディアム・ナンバー「Forever (Sailing)」への流れはこのアルバム中、最も美しいパートである。

 抑制の効いたシンプルなロックにシンセサイザーのフレーズが彩りを添える「Madonna」、再びアコースティック・ギターを前面に出したブルージーな「c. et al.」と落ち着いた展開を経て、8曲目「Glory」と9曲目「Automate」でエモーショナルなサウンド・アプローチ──とりわけ「Automate」のリズムのアレンジは秀逸である──となり、ラストのスロー・ナンバー「Mia」でピアノと控えめなストリングスがボーカルに絶妙に寄り添って、このアルバムは幕を閉じる。全10曲、30分ちょっとという長さは聴く者の集中力を削がない最適なボリュームである。

 

クラシカルな晩餐会でのアンドロジナス的装い

 このアルバムからは、現在「Valentine」と「Ben Franklin」の2曲のミュージックビデオが公開されている。前者の舞台はクラシカルな晩餐会。老若男女が着飾って食べ、飲み、踊っている。そんななか、思いを寄せる人が男と踊りながらキスをしているのを見たリンジーはナイフを手に一目散に男へと突進、馬乗りになって男の胸にナイフを突き立てた。デ・パルマの『キャリー』も顔負けの血まみれ状態のリンジーは、素手でチョコレート・ケーキを掴み、悲しげな表情でそれを頬張る──。

 このミュージックビデオでリンジーは、コスチューム・デザイナー、アレクサ・オニールが手がけた、それぞれは女性的な要素が強いアイテムをアンドロジナス的なムードで身につけており、どこか王子様めいた印象だ。こちらと以下に述べる「Ben Franklin」のミュージックビデオはジョシュ・コールが監督を務めているが、「Valentine」はリンジーのコンセプトに基づいて制作されている。

 今よりも同性同士の恋愛がタブー視されていた、過去の時代を思わせる古典的な晩餐会を舞台にすることで、その意識が現代においても解消されていない事実を照らしているかのような印象もあるミュージックビデオである。

明るいWASP的世界の下に渦巻く念

  「Valentine」のミュージックビデオは前述のように重厚なイメージだが、「Ben Franklin」は立派な庭付きのWASP的な家が舞台。最初のルックはネイビー・ブレザーにストライプのシャツとパールのネックレス、ボトムスはジーンズで足元はブラックのタッセル・ローファーだろうか。肩からかけているのはイエローのニットではなく大蛇。ソックスはその蛇の色と合わせている。続いて犬のブローチを胸につけたサックス・ブルーのケーブル・クルーネック、色の濃いブルー・ジーンズというスタイリングと、同じくサックス・ブルーの〈Ralph Lauren〉のロングスリーブ・ポロにホワイト・ジーンズ、ブラウンとホワイトのコンビ・ローファーのスタイリングが頻繁に入れ替わり登場する。ひとことでいえばベリー・プレッピーなこれらのファッションと、映像中のダンス・シーンや犬と戯れるシーンも相まって「Valentine」のような重々しさとは対照的な抜け感はあるものの、歌詞の内容はとてもヘビー。このギャップがなんとも恐ろしい。

 

音楽を伝えるためのコンセプチュアルなビジュアル表現

 アルバム・ジャケットのスタイリングについても簡単に触れておくと、構築的なショルダーラインのジャケットは〈GUCCI〉だそう。女性的なブラウスとコサージュを組み合わせてはいるが、どこかかつてのグラム・ロックのスター──マーク・ボランやグラム時代のデヴィッド・ボウイといった──を思わせる不思議な力強さが匂い立つビジュアルである。『Valentine』におけるこうしたビジュアル表現のスタイリングは、リンジーとスタイリストのアレクサ・ランザとが時間をかけて熟考したもので、シングル「Madonna」のビジュアルではなんと19世紀のアンティークを使用しているということである。

 以前までは、Tシャツやフーデッド・パーカといったカジュアルな何ということはないいでたちでステージに立っていたリンジーだが、これまで述べてきたようにファッションにおいてもコンセプチュアルな方向にシフトしているのは明らかだろう。早くも次作が待ち遠しい。