文=青野賢一 イラストレーション=ソリマチアキラ

 少しでもジャズに興味のある人なら、間違いなく一度は名前を聞いたことがあるであろうジョン・コルトレーン。以前、本連載でマイルス・デイヴィスを取り上げたが、そのマイルスのバンドにも在籍し、そののち才能を開花させ、ジャズの巨人の一人として音楽界に名を残したサックス奏者である。1926年に生まれ、1967年、肝臓ガンにより40歳という若さでこの世を去ったコルトレーン。生誕95周年である2021年には、彼の足跡を追ったドキュメンタリー『ジョン・コルトレーン チェイシング・トレーン』が公開され、改めて話題となっている。

 

教会を通じて音楽への興味を育む

 アメリカ・ノースカロライナ州に生まれたコルトレーンは、ほかの黒人たち同様、子どもの頃から地域のプロテスタント系教会──いわゆる「黒人教会」──に通い、そこで聖書の教えのほか、黒人中心の教会には欠くことのできないゴスペルにも触れ、高校時代には器楽隊に参加、クラリネットを担当した。高校卒業後はフィラデルフィアに移り、オーンスタイン音楽学校に入学、本格的にアルト・サックスを学び始める。1945年にアメリカ海軍に入隊するが、ここでも器楽隊所属だったため戦地に赴くことはなく、音楽に情熱を傾けることができたという。

 

プロ・ミュージシャンとなるもドラッグと酒に溺れ

 海軍除隊後、アルト・サックス奏者のエディ・ヴィンソンのバンド(このときコルトレーンはテナー・サックス担当)、1949年にはトランペット奏者、ディジー・ガレスピーのバンドに参加し(ふたたびアルト・サックスに)、プロの音楽家としての活動を開始。しかし、その時代のジャズ・ミュージシャンの多くがそうであったように、コルトレーンもアルコールとドラッグに深入りしてしまい、ドラッグを忌み嫌うディジーに解雇されてしまう。ドラッグ問題はその後もしばらくは解決することがなかった。

 

 ディジーのバンドをクビになったコルトレーンは、アルトからテナー・サックスに持ち替え、1955年にはマイルス・デイヴィスのバンドに正式加入。一躍その名が知られるようになるが、この頃のコルトレーンの演奏は硬さと荒削りなところが目立つという声も少なくなかったし、コルトレーン自身ものちに当時を振り返って自分の未熟さを述べている。しかしながらマイルスは、自分が見込んだコルトレーンの才能と彼の成長を信じ、演奏をともにした。

 

自力で更生した「精神の目覚めの年」

 1957年4月、「以前から続いていたフィリー・ジョーとコルトレーンの麻薬乱用が目に余るものになり、マイルスの我慢は限界点に達した」(アシュリー・カーン著、川嶋文丸訳、DU BOOKS刊『マイルス・デイヴィス「カインド・オブ・ブルー」創作術』)。こうして、コルトレーンはドラマーのフィリー・ジョー・ジョーンズとともにマイルスのクインテットをクビになってしまう。この危機的状況に際し、コルトレーンは更生施設に入らず、自身の精神力でアルコールとドラッグへの依存を克服。また、音楽面ではセロニアス・モンクのグループに参加し、そこで得たものも大きかったようで、精神、肉体、音楽的技巧のすべての局面において新たなステージへと向かう準備は整いつつあった。世にいわれるコルトレーンの名作、名演は、自ら「精神の目覚めの年」と称するこの年から1967年に亡くなるまでの10年ほどのあいだに遺されたもので、期間としては実に短いが、ジャズ、そして音楽に与えた影響の大きさは改めて申すまでもないだろう。

 依存症から脱却したコルトレーンは、マイルスのクインテットに復帰。そして、演奏家としてだけでなく作曲家としての才能も開花させ、自身のアルバムに自作曲を収録するようになる。〈BLUE NOTE〉における唯一のリーダー作『Soul Train』(1957)は、1曲を除いてすべて、1960年リリースの『Giant Steps』は全曲コルトレーン作である。

新たに発掘された『至上の愛』のライブ・テイク

 リーダー作およびセッションや客演作の発表、そしてステージでの演奏と精力的に活動を続け、コルトレーンは1964年にマスターピースとしてゆるぎない評価を得ている『A Love Supreme(邦題:至上の愛)』をリリースする。この作品は「承認」「決意」「追求」「賛美」の4つのパートからなる組曲。パンクのボーカルの咆哮を思わせる激情から慈愛に満ちた穏やかさまで、人間の感情のさまざまな局面が感じられ、聴くたびに心揺さぶられるアルバムだ。これまでこの楽曲の録音は、オリジナルのスタジオ録音盤のほかはフランスでのジャズ・フェスティバルの実況録音が存在するだけとされていたのだが、このたびシアトルでのライブ・パフォーマンスの録音が発掘され、リリースとなった。シアトルでの演奏は、コルトレーン、マッコイ・タイナー(ピアノ)、ジミー・ギャリソン(ベース)、エルヴィン・ジョーンズ(ドラム)のカルテットに加え、ファラオ・サンダース(テナー・サックス、パーカッション)、カルロス・ワード(アルト・サックス)、ドナルド・ギャレット(ベース)という7名編成で行われたのだが、その音からは尋常ではない熱量が伝わってくる。ジャズを従来のコード重視という考えから解放した「モード」をさらに押し広げてフリー・ジャズへと展開してゆくただ中にあったコルトレーンのアヴァンギャルドなプレイを堪能できる、素晴らしい音源である。

 

ヨレヨレの日々から真の自由と平和を希求する心へ

 このように、キャリアの後期はフリー・ジャズ的傾向を強め、より自由闊達な音楽を繰り広げてゆくコルトレーンだったが、その根底にあったのは「宇宙的平和」とでもいうような姿勢だったのではないかと思う。もともとキリスト教に親しみ(彼の祖父は双方とも牧師で、父は仕立屋だったが同時に教会関係者でもあった)、その教えを身につけていたコルトレーンは、人生の途中でインド仏教など東洋の考え方に出合い、宗派や宗教そのものを超越した、ある意味自然界の摂理に従うような思考を身につけてゆく。このように書くとなにやらオカルトめいて聞こえるかもしれないが、宇宙や自然との一体化を目指して音楽を奏でることを通じ、宗教間や人種間の争いに満ちた現実世界を更新したい、という思いが透けて見えるのである。

 かつてマイルス・デイヴィスはドラッグとアルコールから抜けられないコルトレーンの服装を「着たまま寝たようなヨレヨレのスーツ」と述べている。確かに、その時代のジャズメンらしくスーツにタイというスタイリングではあるものの、この頃のコルトレーンはどこかだらしがない印象は否めないし、人一倍クールでスタイリッシュであることをよしとしていたマイルスからすれば、前述の発言は実に頷けるものだ。そんなコルトレーンだったが、自力で依存症を克服したのちには、決してスタイリッシュではないが、生来の真面目な性格に加えて肩の力が抜けた自然な柔らかさ、温かさが感じられる印象へと変化しているのは興味深い。ドラッグ漬けでヨレヨレの日々から、真の自由と平和を希求する心を音楽で表現する境地へ──。それが作品、演奏、いでたちに如実に現れているように思うのだがいかがだろうか。いうまでもなく、こうした変化はコルトレーンの努力の賜物である。