左から宮原 義昭さん、久間 正大さん、城 昌史さん。宮原さんの茶園の前にて

玉露を磨く人々

まずは久間 正大さんを紹介しよう。この人物は『八女茶くま園』という、茶葉の加工、仕上げ、販売までをやる茶商で、玉露のみならず、抹茶や紅茶も取り扱う会社の3代目代表であり、かつ、茶葉の生産をする農家でもある。

初代は畜産農家との兼業。先代で、牛から茶に仕事の軸足を移した。正大さんは大学卒業後に茶をはじめて、現在43歳。ビジネスのメインは八女茶でも、山の斜面で手作業で栽培する八女伝統本玉露ではなく、平坦な土地でつくり、専用の車両で収穫する煎茶。

玉露は8年前に、正大さんが家を継いだ際、山に「おぼろ夢茶房」という八女伝統本玉露のための畑を拓いて復活させた。それからわずか3年後の2017年、「農林水産大臣賞」を獲得し、日本最高の玉露の造り手に名を連ねた。

なぜわざわざ八女伝統本玉露を?と質問すると

「お客さまのためです」

と答える。

「うちのお店に来る、八女茶のファンの方は、やはりどういう品種で、どういう風につくっているのか? 畑はどこにあるのか? と知りたがる方が少なくないんです」

久間さんの茶園がある上陽町は、星野村と隣接しており、山がちな星野村に比べた場合、平坦地での煎茶の生産が可能。伝統的にその煎茶は八女でもっとも評価が高く、日本一の評価を受けることも少なくないのだけれど、玉露においても、星野村に匹敵するほどの産地なのだ。久間家の伝統の畑『久間園』も、先々代、先代と、煎茶、玉露で日本一に輝いている。

「そういう茶園がありながら、しばらく、日本一の茶をつくっていなくて、わざわざ、外国からも来てくれるお客さまに、これが日本一、と誇れるものがないのは……かっこ悪い?」

と照れくさそうに笑う。

「さっきもフランスからのお客さまがいらして、摘芯を手伝ってくれたんですよ。やらせてくれって言うんです」

いまや世界のスターシェフが指名買いする生産者。だいぶ、スター扱いにも慣れた、といったところか。細身で、控え目な天才。そんな印象だ。一方、「星野も上陽も恵まれてるから」と博多弁全開で茶化す城 昌史さんは、久間さんとは真逆の雰囲気。

現在でこそ、茶専業だが、2020年までトラック運転手と兼業で茶を追求してきた。茶の生産者としては2代目。父親がミカンを栽培していた家の畑を茶畑に変えた。八女伝統本玉露もやっていたが、黒木町は玉露に向かないとされ、玉露はもう辞めようか、と諦めそうになっていた父親に、当時22歳の昌史さんが「待った」をかけた。それから実に25年。2020年に「農林水産大臣賞」を受賞し、黒木町が日本一の玉露を生み出せることを証明してみせた。

「俺ががんばっとったら、技術指導員が黒木は土からダメけんが、玉露は無理じゃっ言いよって、でも慣れればできるもんで」

土作り、覆いの使い方、すべて独学だ。

教えてくれる人はいなかったのか? とたずねると

「黒木でどうやるかなんて、聞いても誰も知らん」

要するに城さんは、前人未到の地にいるのだ。

とはいえ、城さんは特別にしても、宮原さんにしても久間さんにしても、あるいは吉泉さんにしても、自分の技術を他人に教えることに抵抗はないという。

「知ってることは全部教える。それでも、土地が違えば、やり方は工夫しなくてはならない。習ったとおりやって、それでいいお茶ができるわけではない」

と宮原さんは言う。実際、宮原さんは最近、鹿児島の生産者に玉露づくりを教えているのだという。久間さんも、分からないことは聞きに行って腕を磨いた。

さらに彼らは面白いエピソードを教えてくれた。

「実は、今年は「全国茶品評会出品茶審査会」で玉露日本一を獲ったのは、京都の京田辺玉の生産者、山下 新貴さんなんです。八女は負けちゃった。でも、この、山下さんのおじいさんは、八女が品評会で良い評価を得られずに苦しんでいたときに、玉露づくりを指導してくれた名人なんです。そして、新貴さんは、逆に、八女に勉強しにきているんですよ」

だから次は八女が日本一を取り返す!と城さんが息巻くと、久間さんが、こうやって切磋琢磨していくことで、技術が磨かれていくんだ、と冷静に語る。

熟成、土地、造り手の個性、収穫年……次世代の八女茶の姿

最後に、将来の話をしよう。

城さんは、現在、自分の畑の茶100%、品種違い、収穫年違いの茶を販売したい、と考えている。同じような思いは久間さんにもあるという。

ふたりに共通するのは「茶は、毎年ちがう」という事実への思い入れだ。

同じ茶園の同じ品種で同じ生産者が育てたからといって、毎年、日照も雨も風も違う。だから同じ茶は本当は二度とできない。

それでも、毎年安定した八女茶を消費者が飲めるのは、生産者がつくるのは荒茶までで、彼らはこれを茶商に売るからだ。茶商は、荒茶を煎ってさらに乾燥させ、大きさを整え、時に複数の品種や生産者の違う茶をブレンドすることで安定した商品へと「仕上げ」る。

「八女で1000円くらいで売られている茶葉を買ってみて、飲み比べてみてください。全部、全然、違うから。高級なものになるほど、そういう差は少なくなっていきます」

と吉泉さんは言う。それは、低価格なものになると、ブレンドによる品質の標準化があまり機能せず、むしろ茶商の思想、取引している茶園の個性が色濃く出る、ということだ。

城さんや久間さんは、こういう個性がもっと表面化していい、と考えている。

また、現在の八女茶には熟成という概念もある。実は八女の茶の高品質なものは、新茶の段階よりも、収穫して茶にして、これを真空パックで保存して、秋ごろまで待ったものが美味しく、作柄によっては5年、6年経って、さらに深みを増す年もあるのだという。

さらに、「やぶきた」や「さえみどり」など、茶にはそれぞれ個性の違う品種があり、それらは栽培地・栽培法によって表現を変化させられる。

ワインを見てみれば、こういった複雑性が喜ばれない、と考えることのほうが難しいが、現在では、まだ、こういった差異を明示した茶を売る、という発想はほぼない。

吉泉さんは言う

「八女茶の売り手は、八女全体を見ず、みんな個人プレーだったし、売りっぱなしだった。しかし、お茶は文化をつくってきた。それは目に見えない表現の文化だ、ということをもう一度、ちゃんと意識しないといけない。それを基本に置いておかないと、八女茶はただの商品になってしまう。それでは継承されていかないのではないでしょうか」

九州の茶は江戸時代に東インド会社、開国後は、ウィリアム・ジョン・オルトのオルト商会、海援隊といった貿易の影響によって生産量を増やし、種類を増やし、質を磨いたという。それは、高度成長期であればオリンピックや万博、現在であればアメリカやフランスのスターシェフ。言葉や映像ではなく、官能で語る文化ゆえにインターカルチュラルに存在感を発揮し、文化によらない感性のなかで育まれていった。

「だから、たとえば今は、オーガニックであるとか、世界的な農産物の基準に準拠することが求められるようになってきています。ただ、旨味の強い八女茶には施肥が重要なテクニックで、現在の肥料ではオーガニック認証は取れない。オーガニックで美味しいお茶をつくれる、あるいは、また別の表現ができる、そういうアウトローな存在が育つ土壌もあるべきだとおもいます」

伝統を尊重しながらも、挑む精神は絶やさない。それが八女の茶、八女の魂のありようなのだ。