日本で高級なお茶というと、茶道の世界を思い浮かべがちではないだろうか。そこで問題になるのは、むしろ儀式性・社会性で、お茶そのものにはあまり焦点が当たらない。しかし、お茶の質、栽培からブレンドに至るまでの行程にも、奥深い世界がある。 日本最高峰の玉露の産地「八女」で、究極の玉露・煎茶を追求する「木屋芳友園」の代表、木屋康彦氏のお茶は、アーチザンによる芸術品だ。
日本茶の基本
日本茶というと、ほとんどの場合において、それは緑茶を指す。これは「チャノキ」という植物の葉を摘んで、その葉を蒸し、揉み、乾燥させたものだ。紅茶などと違い、発酵させないので、不発酵茶とも呼ばれる。
緑茶は、作り方によって、煎茶、かぶせ茶、番茶、玉緑茶、碾茶(てん茶。抹茶の原料)などに分類され、この分類のうち、とりわけ高級茶として珍重されているのが「玉露」と「碾茶(てん茶)」。
玉露と碾茶(てん茶)は、お茶の渋味である「カテキン(タンニン)」を減らし、チャノキの根でつくられる旨味のもと「テアニン」を残すため、テアニンをカテキンに変える日光を遮光して育てるところに、他の緑茶との違いがある。
わずかな光を求めて成長した新葉は、日光を遮らないで栽培した茶葉に比べて、旨味が段違いに濃密になるのだ。
そして現在、玉露において日本最高峰の産地が福岡県の八女地域。ここには、玉露の中でも品評会において最上の評価を受ける「八女伝統本玉露」という玉露があり、それは、地理的表示保護制度(GI)に登録されたブランドでもある。
ほとんどワイン
この玉露を含む緑茶というのが、驚くほど多様な変数から成り立つ飲み物だということをご存知だろうか?
それは、ワインに似ている。ワインはブドウ品種、土地の条件、栽培法、醸造法、ブレンド、熟成……と自然に由来する偶然と、人間の行為から発生する多様な要素が変数として存在し、その組み合わせで最終的な作品が決まる。ゆえに、土地や人間を複雑に表現できるのだけれど、茶もこれと同じほどに変数が多い。ということを筆者は、八女の茶商「木屋芳友園」の社長、木屋康彦さんに出会って初めて知った。
ワイン同様、茶においても土地はすべての基本になる。八女という土地は、福岡県八女市が中心なのだけれど、行政区分と八女茶の生産地域が必ずしも一致しない、というところから歴史ある産地であることがわかる。そもそもは1423年に遡るとされるこの地の茶栽培は、筑後川と矢部川、およびその支流が運んだ土壌が交互に堆積した土壌をもつ平地と、阿蘇山に由来する安山岩等の火成岩土壌の丘でなされる。高低差のある地形は寒暖差と場所場所で異なる複雑な日照、風を生み、フェノール類を含む植物にとって重要な要素とされる朝霧、川霧を発生させる。さらに程よい雨量があり、茶の産地として理想的な条件と、複雑な微気候を備えている。
八女には1580haの栽培面積に1200戸ほどの栽培家がいて、それぞれに特徴の異なる茶葉を栽培する。栽培された茶葉は4月の中旬から5月にその若い葉を摘み、蒸し、揉み、乾燥させて「荒茶」と言われる状態にして、市場に出荷される。これを販売業者が購入し、選別、精製、ときにブレンドして最終的な商品にする。
八女は1925年に「筑後茶」、「笠原茶」、「星野茶」など産地によって細かく呼称が違った茶を「八女茶」と統一し、品質管理を強化し、生産、流通ともに拡大していった。そして高級茶の産地として全国的に知られるようになった。
商業的な基礎が確立したことで、そこから、先鋭的な作品が生み出されるのは自然の成り行き。2000年代に入ると、複数の茶の品評会で日本一の評価を得て、日本最高峰の玉露の産地となった。
木屋康彦さんは、その八女で、茶の製造・卸・小売をおこなう「
ワイン的に言えば「ネゴシアン・マニピュラン」。ワイナリーさながら、八女、特に、木屋芳友園の拠点がある星野という土地の特性を反映した茶を追求している。
その思いは、2010年に、八女市星野村に茶房「星水庵」をつくり、自らが目指す茶を星野村の自然の中でゆっくりと体験してもらうべく、そこに立って、茶を淹れる、という活動を始めるにまで至った。
さらに、レストランと組んでのフードペアリングイベントも積極的に仕掛けている。「飲んでみないとわからない」と木屋さんは言うけれど、木屋さんの淹れるお茶は、飲むとその面白さに、おそらく飲料、特に食事と合わせる酒に興味がある人は、目からウロコが落ちる体験になるに違いない。
筆者は実際、そうだった。
一子相伝の哲学は煎茶からあらわれる
というのは先ごろ、星水庵に招かれて、実際にいくつかの八女茶を体験できたからだ。
体験は煎茶からはじまる。まずは、『芳緑』という煎茶を、炭酸水で出した、スパークリング煎茶。
茶葉は、日本でもっとも一般的な品種「やぶきた」をベースに、「かなやみどり」という、ミルキーさのある品種をブレンドしている。
このかなやみどりが効いているのか、爽やかなスパークリングというよりは甘い香りがあり、口当たりはまろやか。コーンを思わせるようなほのかな甘味と旨味がある。
木屋さんはトマトのリコピンと合う、というけれど、ワインで言うと、ピノ・ノワールやサンジョヴェーゼのイメージに近い、タンニンに由来する旨味やハーバルさを感じる茶だ。
一方、おなじ「やぶきた」ベースでも「さえみどり」という茶葉をブレンドした煎茶『茶ノ匠 芳友』の水出しになると、ぐっと爽やかさが増す。
試したものはワイングラスに入れてサーブされたけれど、グラスについた水滴が、長時間、落ちず、液体の粘性の高さを物語る。茶なので酸味はほとんどないけれど、よく熟したシャルドネのイメージに近い。口当たりは水のように穏やかで、そこから抑揚のある味と香りが口内で花開く。ミネラルのやや塩っぽい印象をまといながら、上質な渋みが余韻まで続き、最後は青空のように口内が澄み渡る。ドラマのある飲み物だ。
木屋さんによると、茶の持つ要素は、甘み、旨味、苦み、渋み。しかし、苦味となる渋み、とくに喉にひっかかるような渋みはあってはならない、というのが、創業者である祖父からの教え。この芳友という茶葉の名前は、祖父の名前だということで、木屋一族の理念が表れている。
そして、その渋みは、チャノキの管理、摘み方、揉み方によって大きく変化するため、荒茶の選定眼がものを言うのだけれど、結局は栽培家とともに、木から理解していることが理想を実現するには確実な方法。ゆえに、木屋芳友園は茶商でありながら、栽培にも関与する。
日本最高峰の玉露
そして、八女の真骨頂、八女伝統本玉露である。今回は、2020年の農林水産大臣賞に輝いた玉露「さえみどり」(10,000円/8g!)を贅沢に使い、40℃のお湯で、2分ほど時間を掛けて淹れていく。わずか5~10ccほどを出す、というのが木屋流だ。
「ここまでやったら、普通のお茶では渋すぎて飲めない」
と木屋さんは言う。しかし、このお茶は、驚くほどにまろやかで、嫌な渋みは一切感じられない。ほんの僅かな量のお茶だけれど、これでバランスが取れていて、濃厚な旨味は「これ以上飲んだら酔う」と感じられるほど。アルコールがないにも関わらず。
八女の玉露は、GIをとるだけあって、独自の栽培上の規定がある。まず、チャノキの枝を5~6月に1回だけしか剪定せず、秋まで自然に伸ばす。そして芽が一枚出たら、稲ワラでできた「すまき」という覆いで、茶畑を覆う。茶の状態を見ながら、遮光度合いを調整し、新芽が伸び、葉が、4から5枚開いたところで、上にある芯と、2枚の葉だけを手で摘む。これを「一芯二葉」(※)という。摘み方も独特で、茎の裏を指の腹で曲げ、茶にした際の形がきれいになるようにする。
※「一芯二葉」で摘採するのは全国茶品評会出品茶のみ。
摘んだ葉は、茶の状態を見ながら蒸して酸化を止め、揉んで「苦味(くみ)」と呼ばれる成分を落とし、針のように細く伸ばして乾燥させる。
こういった人間の行為にプラスして、当然ながら天候、土壌、そもそもの木の樹齢、葉の完熟度合いが最終的な味わいを左右する。
そして、独特なのは、瓶詰めされる飲料と違い、茶は、それをプロデュースした本人が、星野の水で淹れて、ようやく、完全に理想の姿になるところだ。
ゆえに、この極上の体験は、木屋康彦さんに出会える人だけが、味わえる、というのは、惜しいことかもしれない。
茶に憑かれて
木屋康彦さんは、お茶は一期一会だという。同じ八女の玉露を使っても、淹れ手、場所、その日の温度・湿度、飲む人の体調などによって、味わいは異なるからだ。これもまた、ワインを思わせる。
ということは、これは色々な味わい方があるし、追求し甲斐もある、とも言えるのではないか? 木屋さんは、茶の淹れ手が増えてくれることを願って、茶の伝道師として活動しているけれど、木屋さんの茶に出会うことで、例えばレストランのソムリエがワインをサーブする腕を磨くように、茶の淹れ方を学べば、食と茶のペアリングの可能性はより広がっていくし、家庭でも茶を飲むという行為が特別なものになる可能性がある。
それは、芸術の体験ではないだろうか。
ワインのコレクターに話を聞けば、ほとんどの場合、どこかで、衝撃的なワインとの出会いを経験して、その感動を再び味わいたい、という衝動からワインを買ってみたら、もうその魅力に取り憑かれた、という逸話を聞かせてくれる。同じことは、あらゆる芸術に対して言える。人は、一度、美しいもの、心を揺さぶられるものに出会うと、以降、世界の見え方が変わってしまう。芸術を通して花の美しさに気づいた人は、二度と再び、花を踏みつけることができない。木屋芳友園の茶は、飲む人に、茶が特別なものだったことを教えてくれる芸術品だ。