フェラーリのミッドリアエンジン2シーター・スポーツベルリネッタ『296GTB』。市販モデルのフェラーリで、ICE(インターナル・コンバスチョン・エンジン=内燃機関)に電気モーターを組み合わせ、車外の電源からバッテリーを充電できるプラグインハイブリッドヴィークルとしては『SF90』に次ぐ2代目にして、初の6気筒エンジン搭載モデルである。

フェラーリのほとんどのモデルがそうであるように、このクルマも現代性を歴史化する存在であるのは間違いないがゆえに、JBpress autographは、そのステアリングを『NAVI』、『ENGINE』と自動車雑誌編集長を歴任したベテラン 鈴木正文に預けた。

しかし、ステアリングを握る前に、話しておくことがあるのだった……

発明と発見の条件

 第1次大戦後の1919年、「パリ講和会議」で締結されたヴェルサイユ条約によって、ドイツはエンジン付きの飛行機の製作を制限された。このことに触れて、寺田寅彦は1922(大正11)年、俳句雑誌の『渋柿』に、次のような短文を寄せた。

 平和会議の結果として、ドイツでは、発動機を使った飛行機の使用製作を制限された。
 すると、ドイツ人はすぐに、発動機なしで、もちろん水素なども使わず、ただ風の弛張(しちょう)と上昇気流を利用するだけで上空を翔(か)けり歩く研究を始めた。
 最近のレコードとしては約二十分も、らくらくと空中を翔けり回った男がある。
 飛んだ距離は二里近くであった。
 詩人をいじめると詩が生まれるように、科学者をいじめると、いろいろな発明や発見が生まれるのである。

(寺田寅彦『柿の種』岩波文庫)

 こうして、ドイツでグライダーが発祥した。それからおよそ1世紀ののちの2015年、「パリ講和会議」ならぬ気候変動にかんする「パリ協定」によってCO2排出量の削減目標が示され、自動車のEV化への流れが一気に加速した。自動車エンジニアたちは、フェラーリに拠る者たちをふくめて、電気自動車(EV)のみならず、内燃機関(ICE)と電気モーターとの混成による「発動機」によって、路上を自在に「翔けり回る」ハイブリッド・カーを生み出すことにも腐心するにいたった。

 そうして、ここに、1台のプラグイン・ハイブリッドのフェラーリが誕生した。それは、果たして、逆境に追いこまれた(いじめられた)詩人が生み出した1篇の詩のような自動車なのか……。「パリ協定」なかりせば、けして誕生しえなかった2人乗りの、ミド・エンジンのスーパー・スポーツカー、296GTBとは、どんなクルマか──。

250LMを語り直す

 マラネロみずからが述べるように296GTBのスタイリングは、1964年から1966年にかけて32台がつくられたにすぎないプロトタイプ・レーシング・カーの250LMにオマージュを捧げたものである。ピニンファリーナがデザインし、スカリエッティがボディを叩いた250LMは、スポーツカー・レース全盛期の1965年のル・マン24時間のウィニング・カーであるとともに、1963年のスポーツカーレースを席巻したオープントップのスポーツ・プロトタイプ、250Pにルーフをかぶせたものでもあった。

 ラップアラウンドしたヴァイザー風のウィンドシールド、リア・フェンダーの峰の始点に穿たれた巨大なサイド・ヴェント、後付け物件のようにも見えるカンチレバー風のルーフ、さらにはボディ後端のカム・テイルまたはコーダ・トロンカの形状などは、250LMとの類縁性の、動かぬ証拠だ。

 296GTBのスタイリングは、その意味では、250LMを意識的に語り直したものである。栄光のルマン・カーは、かくして、過去から現在に呼び出され、未来が過去の「語り直し」によってつくられうることを、身をもって示した。

 では、心臓は、どうか? それはどう語り直されたのか?

 なににせよ、296GTBは、「パリ協定」のおかげで、もはや無邪気に内燃機関だけを追いかけられなくなったスーパーカー・メーカーが、かつて、ドイツ人が「グライダー」を発明したように生み出したものだ。それゆえのプラグイン・ハイブリッド・カー(PHEV)である。「しかたなく」つくられた電動フェラーリであるともいえる。3.3リッターの60度V12を搭載し、ル・マンを制するために誕生した250LMが戦闘機とするなら、296は「グライダー」か──。