1993年、まだ黎明期の頃のユニクロ(ファーストリテイリング)に入社。 グローバル企業になるまでの24年間にわたり、業務改革とシステム化を推進し、日本初SPAのビジネスモデルのシステム、EC立ち上げやグローバル経営を行うための仕組みを構築した。その後、RIZAPグループの役員を経て、2019年に情報テクノロジーを企業経営に生かすことを事業目的にISENSEを起業。これまでCIO of The Year 2007 特別賞やIT Japan Award 2018 を受賞し、経済産業省IT経営協議会委員も務めてきた。現在はDX推進にとどまらず、数社の取締役や経営アドバイザー、基幹系プロジェクトの立て直しなど幅広く支援中。

 山口県宇部市の商店街の一角にあった地方専門店は今や世界25カ国・地域に店舗を構え、売上高2兆円を超える巨大チェーンに変貌した。その成長過程に約24年間にわたって当事者として関わり、システム面を中心に実務を支えてきた男がいる。現在はITコンサルタント会社であるISENSEの社長で、元ファーストリテイリングのCIO(最高情報責任者)だった岡田章二氏に、ユニクロの成長過程における変革への取り組みを中心に聞いた。

入社時は新システムの導入で現場が大混乱

――岡田さんの経歴は。

岡田 当初はシステムエンジニアとして花王九州工場(当時)の担当をしていましたが、システムとビジネスの両方を知らなければ何も変えることはできないと思い、事業会社に転職しました。小さい会社なら権限や活躍の場が大きいと考え、1993年にファーストリテイリングに入社しました。50歳を過ぎて経営をやりたいと思い、2016年にRIZAPグループに入社。事業再生やグループの戦略立案に関わりました。

――入社当時のユニクロの状況は。

岡田 当時は山口県宇部市に本社があり、年商250億円、73店を展開するローカルチェーンでした。システム関連雑誌の求人広告を見て電話したら「会社が大変なのですぐ来て」と言われ、行ってみたら新システムを導入し、現場は大混乱していました。最初は営業部営業課という部長と僕の2人だけの部署に配属。ユニクロが急成長のギアに入った時期で、業務とシステムが全くフィットしていなかった。「システムが悪いので直してくれ」と言われたのですが、業務の標準化ができていないと考え、店舗運営やシステムなど業務のマニュアルを作成しました。するとクレームがやみ、システムが崩壊するのを免れることができました。