文=中野香織 写真=JBpress autograph編集部
シャネルの功績、主要な作品を網羅
ガブリエル・シャネル(1883-1971)は、実に「飽きられない」人である。
2021年はシャネル没後50年、香水「シャネル N°5」が生誕100年のシャネルアニバーサリーイヤーで、盛り上がりの記憶も新しい。たたみかけるように、2022年はシャネル回顧展が開催されている。ガリエラ宮パリ市立モード美術館で開催されたGabrielle Chanel. Manifeste de mode 展を日本向けに再構成した国際巡回展である。
1920年代の初期のドレスやセットアップから、最後のコレクションとなる1971年のスーツにいたるまで、香水、化粧品、バッグ、シューズやジュエリーも含めて、シャネルの功績、主要な作品が網羅される。シャネルを語る同時代人のことばや映像が、時代の空気を伝えてくる。
ガブリエル・シャネルのストーリーであれば、本で、映画で、舞台で、マンガで、繰り返し親しみ、ビジュアルもいやというほど見てきたはずなのに、豊富な実物を間近で鑑賞できるこの展覧会では、さらに新しい発見やインスピレーションを与えられることになった。
永遠にラグジュアリーであるための、シンプル
新しい収穫のひとつは、シャネルのドレスやスーツの評価につきまとう「シンプル」の意味が深められたこと。
たとえば、「リトル・ブラック・ドレス」。
数々の慣例を転覆したシャネルの業績リストの筆頭にあがるものが、LBDと略称される「リトル・ブラック・ドレス」である。装飾をぎりぎりまで廃し、抑制をきわめた黒いシンプルなドレス。喪の色とされた黒をモードに変え、アクセサリー次第で多様な演出も可能というシンプルなドレスであるがゆえに、活動する20世紀女性の「マストハブ(必需品)」にまで昇格したという位置づけである。
本展で目の当たりにするブラック・ドレスは、複雑をきわめていた。おそらく、保管や展示に耐えうるものとして、とりわけ精緻な作りのドレスばかりが選択されているのだとは思う。当時「リトル」と形容されたドレスはまた別ものなのかもしれない。しかし、その前提を差し引いても、展示されるブラック・ドレスの数々は、通念としてのLBDがイメージさせる世界の対極にある複雑さを極めたものばかりだった。
素材のバリエーションばかりではない。デザインのバリエーションが実に豊かで、一作一作、細部をより丁寧に見たくなって視線が吸い込まれるようなのである。どこがシンプルなのだ。シンプルなのは、色だけである。こんなにも繊細な違いを極めつくしたものが、一律にブラック・ドレスというカテゴリーでくくられる余裕。無限の複雑宇宙を展開できるからこその「リトル・ブラック・ドレス」なのよ、と早口で毒づくシャネルの声が聞こえるようだ。
節度ある一色で豪奢に展開するブラック・ドレスの世界は、「永遠にラグジュアリーであり続けるためのシンプル」とはどういうことなのかを、あらためて考えさせる。