文=友廣里緒
時々訪れるようになった暑さをなだめるように、京都の鴨川で川床の準備が始まる4月下旬、陶芸家・辻村史朗氏の個展がスタートした。辻村氏が、自らの工房を構えて今年で50年。今回は、市内のギャラリーや美術館を横断し、豊富な出品数でその歴史と背景を見る人に伝える。会場のひとつである「ZENBI 鍵善良房KAGIZEN ART MUSEUM」にて、辻村氏に話を聞いた。
照明を凝ると綺麗に見える
今回のように過去の作品を網羅した企画は久しぶり(1999年茶道資料館以来)、と辻村氏は外の強い日差しなどどこ吹く風、というように涼し気に話す。
「照明を凝ると綺麗に見える。いつも家のその辺に転がっているような感じやから」
普段は作品群が空気のように身近にあるのだろう、展示演出によって変わった表情が眩しく見えるようだった。
師事することが基本とされる陶芸の世界で、全くの独学で50年以上制作してきた辻村氏の念頭には、一貫して、桃山時代の茶人に好まれたような陶器があるという。
豊臣秀吉の時代に茶の湯文化が確立されたことで、日本国内の各所で作陶技術が一気に花開いた。その後期には高麗茶碗なども取り入れられ、底知れず深化している。辻村氏やその作品には、かの時代の歴史的茶人の目利きに、挑むような、寄り添うような、そんな意識のやり取りが垣間見える。
「人から教えてもらうというものではないんです。今やっていることしかできない。目の前のものに触発されてつくっているんです」
中でも勢力的に取り組んできたのが、美濃桃山陶を代表する「志野」と李氏朝鮮時代前半に作られていた「井戸」で、一度に何千個という単位でつくることもあるという。
「良いものに出会うとピンとくる。良いものを、有名なものを超えるものをつくりたい。“この作品や人に負けるのならやめたほうがいい”と思ってやっています」
作陶半世紀とは長い年月だが、それにしても工房の周囲に鎮座しているという作品群は膨大のようで、大阪市立東洋陶磁美術館名誉館長の出川哲朗氏はその様子を目の当たりにして、「一人の作家がなしえたとは思えないような規模」(作品集:辻村史朗より)と語っている。
そんな辻村氏の作品と向き合っていると、「完璧に自然なひずみ」というイメージが浮かび上がってくる。意図的にひずませようとして、“眩暈がしそうなほどの繰り返しの中でかろうじて見えては消える理想” を少しずつ反映する。確かな存在感は見る人を包み込むような優しさを持ち合わせていて、深淵なる愛らしさをにじませるのだ。
「一度やりはじめると、そればっかりやっている。もうちょっと、もうちょっとって。この線が出来たら次はこの線と、“出来た” という境地はないんです」