文=友廣里緒
元ラグビー日本代表のラトゥ・ウィリアム志南利さんがラグビーを通じて育んだトンガと日本の絆を紡ぐ噴火被災義援金活動が主に3月末と、一部4月6日をもって全て終了する。ラトゥさんの活動を通じて寄付を検討する最後の機会だ。
人口の8割が被災、追い込まれる生活環境
「現地の皆には早く元通りの生活に戻ってほしい。活動を通じて沢山の方の温かい心に触れ、支援をいただいてとてもありがたい、感謝しています」
ラトゥさんは、物静かではにかむような笑顔を見せながら、確信に満ちた言葉を紡ぐ。
今年1月15日にトンガ王国の海底火山で起こった大規模な噴火からおよそ2カ月半が経ちつつある。2月には、噴火時の噴煙がおよそ高さ36マイル(58キロメートル)にものぼり、人工衛星がとらえたもののなかで過去最高規模となったことをNASAが発表した。
日本赤十字による現地の最新報告では、津波の発生と広範囲にわたる火山灰の降灰により、全人口の8割以上ともなる被災者を出している。家屋の浸水や倒壊にはじまり、溶岩や灰、ガスから身体を守らなければならないし、汚染されたり貯水タンクが破壊されるなど、生活に必要な水量がひっ迫しているという。
通信障害によって被災状況の把握ができないなど、大きな混乱をもたらした海底ケーブルの損傷は少しずつ復旧しているが、東日本大震災をはじめ、多くの自然災害を経験している日本在住者にとって、生活環境はもちろん、精神面や長期に及ぶ経済的不安など「被災者の長い闘い」は想像に難くないだろう。
「噴火の知らせを受けて、すぐに行動を起こさなければならないと思いました」
トンガ大使館とも話しあい、義援金活動を開始した(トンガ大規模噴火緊急支援のお願い)。
ラグビーが育んだ、日本とトンガの架け橋
ラトゥさんが初めて来日したのは1985年、トンガからの留学生としては3人目だったという。日本では丁度、学生ラグビーが盛り上がっていた頃になる。大東文化大学が「そろばん」を通じた文化交流としてトンガから日本への留学受け入れを行っており、その流れでトンガでも根付いているラグビーも、取り組むようになった。
「海外に出るのは初めてで、経験してみたいという気持ちが強かったです。私より前に留学していた先輩2人と同様、そろばん を学ぶために来日して、ラグビーも参加するようになりました。トンガ人のラグビーはパワーが強みです。日本のラグビーはスキルが高くて低いタックルが強い。言葉や習慣の壁はありましたが、学ぶことが多くて “とにかく練習” という意識で夢中になりました」
大学選手権で二度の優勝に貢献して卒業後、群馬県大泉町の三洋電機ラグビー部(現パナソニック)に所属、1987年にオーストラリアとニュージーランドで開催された第一回ワールドカップで日本代表に選ばれた。猛タックルで「褐色の弾丸」と呼ばれ、「パワープレーならトンガ」と日本のラグビー界で存在を強固なものにした。いつしか「守護神」とも呼ばれるようになった。現在はパナソニック社が拠点を置く大泉町や隣の邑楽町は第二の故郷ともいえる場所だ。
「私は卒業してから 旧三洋電機に所属できたし、日本代表にも選ばれ、日本人の女性と結婚をしました。日本にきたトンガ人として、とても幸運だと思っています。トンガと日本に何か恩返しがしたいとずっと考えてきました」。
トンガから日本への留学が増えると同時に、大学で挫折したり、プロとして活躍できず、生活に困窮するようなケースも増えた。「トンガから日本への留学生受け入れを、制度や契約条項など環境整備から、精神的にも支えたい」
志を実現するべく、以前からトンガ大使館と連携し、NPO組織の設立準備をすすめてきたところへ噴火があり、活動を早めてNPO法人日本トンガ友好協会を発足させた。関係組織方々に協力を要請し、現パナソニックワイルドナイツが拠点を置く埼玉県熊谷市、そして群馬県大泉町と邑楽町、母校大東文化大学や埼玉のラグビー強豪校、埼玉県正智深谷高等学校 からもサポートを得ることができた。三洋電機ラグビー部OB会も寄付金を贈呈してくれた。
日本のラグビー仲間の存在はありがたい
その志は、パナソニックワイルドナイツ出身の後輩にも広がり、2
木村元選手は、「現役時代、トンガの選手の強さや優しさに触れて、共に成長し、支えられてきました。トンガ名物の豚の丸焼きでもてなしてもらったこともあります。東日本大震災でも、トンガの人たちが救済活動をしてくれていたことをよく覚えています。恩返しにもなれば」という。
集まった義援金は、トンガ大使館に全額寄付される。「協力してくれた皆の思いを託したい」ラトゥさんの思いの輪はこれからも広がって、トンガと日本の友好が紡がれていくだろう。