東京工科大学
コンピューターサイエンス学部
佐藤公則教授

 官民問わず急進するデジタル変革の流れと、多様なサービスで進むパーソナライズ化の潮流。この2つの動きの双方に高い親和性を示し、「入口」部分のセキュリティを担う技術として生体認証に多くの期待が集っていることは、前回の静岡大学・西垣教授への取材でも明らかだ。しかもこの領域では今、多様な研究が進められ、新たなDXの可能性につながるような内容のものも少なくないようだ。そこで東京工科大学の佐藤公則教授に、同領域の新しい動きについて話を聞いた。

静的な身体特徴だけでなく、行動上のクセや違いも生体認証の対象に

 ユーザーである生活者のパーソナルな要望に応えるため、「キメ細かなサービス」を確立することが必須条件とさえ言える現代、「個を特定して正しく判別するための認証手続き」は不可欠。

 だが、サービスを提供する側の目線で見れば、ユーザーに本人であることを証明するモノ(カード類や身分証明書)の提示を求めたり、他人に見破られにくいIDナンバーやパスワードの設定を求めたりする従来の手法では、セキュリティ上のリスクに不安が生じるばかりでなく、さまざまなコストや手間もかかっていた。また、サービスを受ける生活者側の目線で見ても、利用サービスが増えれば増えるほどモノの携帯やパスワードの記憶を求められる場面もまた増えていき、その煩わしさに対する不満もまた募っていた。

 そんな中で生体認証技術の活用は一気に拡大した。最大のきっかけは、スマートフォンへのログインに導入された指紋認証や顔認証の浸透。これらの技術がサービスを提供する側と利用する側の双方にとって、従来よりも高度なログイン時の「セキュリティ」確保と、本人認証上の手続きの煩わしさを解消する「利便性」を実現した結果、他のさまざまな場面にも生体認証の導入は加速度をつけて広がっている。

 しかし、「セキュリティ」と「利便性」をバランス良く共存させるうえで、現状の市場に出回る生体認証アプローチにはまだまだ課題があるようだ。東京工科大学のコンピュータサイエンス学部でバイオメトリクス(生体認証)研究を展開する佐藤公則教授はこう語る。

「私がバイオメトリクス研究を手がけるようになった最大の動機は『この世界からIDカードをなくす』ことでしたし、同様に世界各地で最先端技術を駆使しながら生体認証の進化を目指している研究者や企業の開発者はまだまだ現状に満足していないはずです。だからこそ、より本人認証を高精度で実現できる身体の部位を特定し、その個体差を瞬時に読み取る技術を確立していく努力を、私たち研究者は今も続けています。その一方で、近年になって注目され始めたのが動的な特徴に焦点を当てた生体認証なんです」

 佐藤氏によれば、これまで脚光を浴びてきたのは主に静的な身体特徴による判別技術だったという。指紋、顔といった外気に触れる部分をモーダル(インターフェース)として用いる認証技術や、手のひらの静脈、あるいは目の虹彩といった体内の個体差をモーダルとして読み取る認証技術が現在の主流。だが人間にはそうした部位自体の特徴の他に、行動が示す動的特徴もあり、それを本人認証に用いるアプローチが注目されているのだという。

「欧米を中心に、人類は昔から手書きのサインを本人認証に用いてきましたよね? これもまた筆跡という当人にしかないクセに着目した一種の行動的生体認証だったわけです。文字の書き方だけでなく、歩き方や話し方、手指の動かし方など、人の行動には微妙な違いがたくさんあります。それをセンサー技術で捉えることができれば、デジタルな局面でのログイン手続きにも認証技術として利用していける、という発想が広がっているんです」(佐藤公則氏

 こう話す佐藤氏は、自身の研究室で上げてきたさまざまな成果や現在取り組んでいる事例の数々を示してくれた。例えば、モーションセンサーと呼ばれる動作を認知する装置を用いたもの。手のひらサイズの小さなセンサーをPCにUSB接続するだけで、その操作をキーボードではなく手指の空中動作で可能にするリープモーション等の製品は、ひところ一般市場でも話題を集めたが、これらを使うことで本人認証をしていくアプローチである。空中で指を動かして記号を描き、それをセンサーが感知していくエアサインという手法がその代表例だ。他にも視線検出センサーを用いた手法として、集合写真の中にいる特定人物を目視で確認する際の視線の動きを感知していくものもある。さらにはカメラを用いて、単語を口パクで話す時の唇の動きのクセ(個体差)で本人認証を行うリップシンクなどなど。今後はこうした動的生体認証も世の中の随所に登場する可能性があるというのである。