意外に柔軟だった江戸幕府の権力機構、紀州藩足軽の家に生まれた田沼意次が老中にまで出世できた理由 江戸城の天守台 撮影/西股 総生(以下同) (画像1/6) 浜松城。家康のかつての本拠であったこの城には有望な譜代大名が入れ替わり立ち替わり封じられて多くの老中を輩出して「出世城」の異名を取った (画像2/6) 福山城に建つ阿部正弘(1819-57)像。正弘は奏者番や寺社奉行をへて老中となり幕末の難局に対処した (画像3/6) 松坂城下に残る足軽長屋。田沼意次もこのような粗末な長屋で生まれ育ったのだろう (画像4/6) 甲府城。柳沢吉保は加増が重ねられて甲府15万石を領するに至った (画像5/6) 白河小峰城。田安家に生まれた定信は白河藩松平家の養子となり、のち老中となって寛政の改革を断行した (画像6/6) 意外に柔軟だった江戸幕府の権力機構、紀州藩足軽の家に生まれた田沼意次が老中にまで出世できた理由 この写真の記事を読む