「四大元素」を擬人像にした理由
紀元前6世紀、ギリシャの哲学者タレスが万物の根源を「水」であると説いたことをはじめとして、「空気」「火」「土」などを万物の根源とする説が現れました。紀元前5世紀には、哲学者エンペドクレスはこれらの説を総合して、空気・火・土・水の四元素を万物の起源とする「四大説」を唱えます。プラトン、アリストテレスがこれを体系化し、後世まで継承されました。
各元素は流動しながら変化と循環の作用を及ぼしてさまざまな様相を呈するとされ、錬金術では四大元素の変化と循環は不可欠でした。16世紀に錬金術は大流行し、四大元素を描いた版画や絵画も多く制作されました。
アルチンボルドは《大気》《火》《大地》《水》という連作「四大元素」を、それぞれにふさわしいモティーフで描きました。これらは「四季」の連作と同様に、皇帝の膨大なコレクションで培った博物学的な知識や、動物園、植物園などでの観察から、精緻な描写をしています。
作者不詳《大気》 制作年不明 油彩・カンヴァス 74.4×56cm 個人蔵
それぞれの絵を見ていきましょう。《大気》(制作年不詳)はオリジナルが消失しているため、この絵は模作もしくは工房の作品だとされています。鳥で構成されている擬人像で、胸に描かれているワシは皇帝を象徴する鳥、クジャクはハプスブルク家の紋章に用いられている鳥です。
多くの鳥はアルチンボルドの素描にあるものですが、全体が描かれていないため、正確な同定は難しいでしょう。
《火》 1566年 油彩・板 66.5×51cm ウィーン美術史美術館
《火》(1566年)はマクシミリアン2世に捧げられたオリジナルです。頭は燃え盛る薪、頬は火打石、首は燃えているロウソク、顎は火の灯るオイルランプ、鼻と耳は火打金、胸部は武器という、火に関連するモティーフで人物を描いています。
また、胸元にはハプスブルク家を象徴する金羊毛騎士団の紋章と、ハプスブルク家の紋章である双頭の鷲が見えます。この絵でもハプスブルク家の権力が強調されています。
《大地》 1566年? 油彩・板 70.2×48.7cm リヒテンシュタイン侯爵家コレクション
《大地》(1566年?)は、さまざまな動物を組み合わせて横向きの人物を表しています。マクシミリアン2世に捧げられたオリジナルと思われている作品ですが、大きさや筆さばきに隔たりがあることから、オリジナルではない可能性も指摘されています。
王冠のような形になっているシカたちの角、ヘラクレスが持っているようなライオンの毛皮が描かれています。ヘラクレスは伝統的にハプスブルク家の象徴として用いられました。また、金羊毛騎士団を表すヒツジも描かれ、ハプスブルク家と関わりの深いモティーフが各所に見受けられます。
前述した《水》(1566年)は、マクシミリアン2世に捧げられたオリジナルです。1872年、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世によってオーストリアのグラーツにあるヨアネウム(博物館)に寄贈されました。1954年に売りに出され、現在はリヒテンシュタイン侯爵家の所有となっています。
アルチンボルドの寄せ絵の頂点とされる作品で、精緻に描かれたモティーフと絶妙な配置、そしてどこかユーモアを感じさせる傑作です。真珠のネックレスとイヤリングをしていることから、この人物は女性と思われています。
描かれている水生生物は62種類で、淡水に棲むカワカマスとカエル以外は地中海に棲むものです。また、大洋を象徴する真珠はハプスブルク家の広大な領土を、貝や甲殻類は強大な軍事力を暗示しているといわれています。
「四季」と「四大元素」という計8枚の絵には、皇帝が帝国を支配する、つまり四季と四大元素の世界を支配するであろうという称賛が込められていました。さまざまなモティーフが織りなす調和は、ハプスブルク家と皇帝マクシミリアン2世の恵みによる統治の下に存在する調和を表現しています。
《春》の裏面には「《春》は鳥によって頭部ができた…《大気》と組み合わされる」と書かれていることから、「四大元素」の《大気》と対になっているということがわかります。同様に《夏》は《火》、《秋》は《大地》、《冬》は《水》と対になっており、並べると、それぞれの顔は向かい合います。
前述のフォンテオの記述に「夏は《火》のように暑く乾燥している。冬は《水》のように寒く湿っている。《大気》と《春》はともに暑く湿っている。《秋》と《大地》は冷たく乾いている」とあります。ここから暑さ・寒さ・乾燥・湿気と、春・夏・秋・冬、そして大気・火・大地・水はそれぞれ対応していることがわかります。
アルチンボルドは「四季」と「四大元素」という2つの連作において、調和に満ちた関係性を表しました。それは永遠に世界を支配して万物に調和をもたらす皇帝マクシミリアン2世への称賛でもありました。
このようにアルチンボルドの作品は決して奇天烈で奇妙なものではなく、写実性と寓意に満ちた芸術性を表現できる高い知性と技術をもった、稀代の画家だということがおわかりいただけたと思います。
参考文献:『アルチンボルド展』カタログ シルヴィア・フェリーノ=パクデン、渡辺晋輔/責任編集 国立西洋美術館・NHK・NHKプロモーション・朝日新聞社/発行
『綺想の帝国−−ルドルフ2世をめぐる美術と科学』トマス・D・カウフマン/著 斉藤栄一/訳 工作社
『西洋美術の歴史5ルネサンスⅡ 北方の覚醒、自意識と自然表現』秋山聰・小佐野重利・北澤洋子・小池寿子・小林典子/著 中央公論新社
『名画への旅10 北方ルネサンスⅡ 美はアルプスを越えて』木村重信・高階秀爾・樺山紘一/監修 高橋裕子・小池寿子・高橋達史・岩井瑞枝・樺山紘一/著 講談社
タッシェン・ニュー・ベーシック・アート・シリーズ『ジュゼッペ・アルチンボルド』ヴェルナー・クリ―ゲスコルテ/著 タッシェン・ジャパン
『アルチンボルド アートコレクション』リアナ・デ・ジローラミ・チーニー/著 笹山 裕子/翻訳 グラフィック社
『表象の迷宮 マニエリスムからモダニズムへ』谷川渥/著 ありな書房
『美術論集 アルチンボルドからポップ・アートまで』ロラン・バルト/著 沢崎浩平/訳 みすず書房
『名画の読解力 教養のある人は西洋美術のどこを楽しんでいるのか!?』田中久美子/監修 エムディエヌコーポレーション
TJ MOOK『奇想の宮廷画家 アルチンボルドの世界 ハプスブルク家に愛された「だまし絵」の名手』大友義博/監修 宝島社
『芸術新潮』2017年7月号 新潮社
