フォルクスワーゲン乗用車ブランドのCEOトーマス・シェーファーとID. クロス コンセプト

様変わりした巨大モーターショー

 かつてはフランクフルトショーの名で親しまれていたドイツの自動車ショー“IAA”(IAAはInternational Automobile Exhibitionの意味)。最盛期には100万人近い観客が訪れ、1000を越す出展者が集まっていたが、2010年代に入って自動車の電動化が進むとその人気に翳りが見え始め、2019年を最後にフランクフルトでの開催を終了。コロナ禍が明けた2021年からはミュンヘンに会場を移して再出発を果たした。

 フランクフルトショーには足繁く通っていた私もミュンヘンショー(正式名はIAAモビリティ)を取材するのは今回が初めて。驚いたのは会場面積が大幅に縮小されたことにくわえ、欧州の自動車メーカーはフォルクスワーゲン・グループ、メルセデス・ベンツ、BMW、ボルボなどの参加が目につく程度で他はほとんど見当たらず、これとは対照的に中国メーカーが多数出展していたこと。さらに部品メーカーやソフトウェア・プロバイダーの出展が多く、これまでの主体だったBtoCからBtoBへと大きく様変わりしたように見受けられたことだった。

 ショー会場はミュンヘン市郊外に建つミュンヘン・メッセという名の展示場。もっとも、こことは別にミュンヘン中心部にもシティ・スペースと呼ばれる屋外の展示会場が設けられており、こちらでは無料で各メーカーの展示車両などが見られる模様。つまり、BtoCの中心はそちらに移ったとみてよさそうだ。

ブランドの原点に立ち返ろうとする欧州車

 会場が縮小されたので各メーカーの出展ブースも大幅にダウンサイジングされた。なかでもフォルクスワーゲン・グループは、ブランドごとにブースを出展していたフランクフルトでの形態を改め、グループとしてひとつのブースを構え、そこでフォルクスワーゲンを中心とする各ブランドのプレゼンテーションを行っていた(出展ブースが大幅縮小されたのはメルセデス・ベンツやBMWも同様)。

 もっとも、今回のIAAモビリティに限っていえば、これはフォルクスワーゲン・グループにとって好都合だったともいえる。なぜなら、彼らはグループを挙げて戦略の大幅な見直しを行っている真っ最中だからだ。

 その内容を私なりの言葉で表現すれば、各ブランドの原点に立ち返り、EVだけでなくエンジン車やハイブリッド車も作り続けていくなかで中国メーカーとの差別化を図り、生き残りを図っていく、となる。

「欧州メーカーはそれほど中国勢に危機感を抱いているのか?」と訝しがる向きもあるだろう。かつては私も同じ疑問を抱いていたが、過去10年間に中国メーカーが見せた技術的な躍進はすさまじく、単なるハードウェアの完成度だけでいえば数年のうちにヨーロッパや日本のメーカーが追いつかれても不思議ではないし、すでに追い越されている分野さえある。

 そうした強敵に負けまいとして、欧州メーカーの多くはEV化、自動運転化、デジタル化を積極的に推進してきた。しかし、そうした技術分野のなかには、大量の資本や労働力を投下することで急速な進歩を期待できるものが少なくない。このため、伝統や個性を重んじながら、時間をかけてていねいに製品を作り上げる欧州の自動車メーカーと、物量作戦を得意とする中国メーカーとの戦いは、次第に中国勢優位の様相を呈してきたのだ。

 フォルクスワーゲン・グループを始めとする欧州の自動車メーカーがいま取り組んでいうる戦略の見直しは、そうした教訓に基づいていたもののように私には思える。

フォルクスワーゲンの強みとは?

 彼らはどのようにして態勢を立て直そうとしているのか。フォルクスワーゲンを例にとって紹介していこう。

 IAAモビリティでフォルクスワーゲンが掲げたスローガンは「True Volkswagen」というもの。このひと言だけでも、彼らが自分たちの本質に立ち返ろうとしていることがよくわかる。

 ここでフォルクスワーゲンは自分たちの強みとして「デザイン」「品質」「コストパフォーマンス」「革新的技術」の4分野を提示した。いずれも、彼らの伝統的な価値といっていいものばかりだ。

ID. CROSS Concept

 このうちデザインに関してはID.クロス・コンセプトを展示。今後フォルクスワーゲンが採用することになる新しいデザイン言語を発表した。

 ID.クロスは全長4161mmのコンパクトなSUVで、ID.の名がつくことから想像できるとおり、バッテリーに充電した電力で走るEVである。ただし、コンパクトサイズながら航続距離は最大で420km(WLTPモード)と長く、モーターの最高出力も211psとパワフル。駆動輪が前輪となることも、ID.クロスの特徴のひとつ。実は、現在発売されているフォルクスワーゲンのID.シリーズは後輪駆動か4輪駆動のいずれかで、前輪駆動はなかった。ただし、ID.クロスのようなコンパクトモデルの場合は、モーターやコントロールユニットを車体前部のエンジンルーム(モータールーム?)に集約できる前輪駆動のほうがスペース効率に優れ、長いケーブルなどが不要になることからコスト面でも有利という。

 いっぽうのデザインは無駄な装飾がなく、ボディ全体がツルッとした曲面で覆われている。そして長いホイールベースが安定感溢れるプロポーションを生み出すとともに、4輪が力強く大地を捉えている様子を伝える。新しくて、力強く、バランスがよくて、どこか温もりが感じられるデザインといっていいだろう。

クルマのデザインがアグレッシブであることを誰が望んだのか?

 現在、フォルクスワーゲン・ブランドのチーフデザイナーを務めているのはアンドレアス・ミント氏。彼によると、ID.クロスに用いられたデザイン言語は来年以降、商品化されるフォルクスワーゲンの各モデルに順次採用されるという。

「私はこのデザイン・コンセプトをピュア・ポジティブと名付けました」 フォルクスワーゲン・ブースでミント氏に声を掛けると、気軽にそう答えてくれた。

左がアンドレアス・ミント氏。右が著者の大谷達也

「装飾を省いてピュアな形状を表現しようとしました。ピュアは純粋さ、ポジティブは楽観的で、将来を明るく見通す、そう、Be Happyの精神です」

 こう語るミント氏に、私が「まるでアナタみたいですね」と指摘すると、「そうそう、まさにそれです!」といって満面に笑みを浮かべた。

「一般的なお客様は、アグレッシブなデザインを好みません。私は、フォルクスワーゲンを購入してくださる、ごく普通の方々をイメージしながらこのクルマをデザインしました。彼らが望んでいるのは平和なハッピーライフです。このクルマは、それをデザインで表現したものです」

 かつてフォルクスワーゲンは、ごく普通の人々のハッピーライフを象徴する自動車だった。その意味でいえば、ミント氏はデザイン面からフォルクスワーゲンの原点回帰を目指したといえる。

 ただし、それは単なる懐古主義ではない。その証拠に、ID.クロスのデザインは、スピリットとして原点回帰を目指していながら、表現に用いられた手法は実にモダンで先進的であるからだ。

コンパクトカーでありながらも、5人乗りでラゲッジスペースもしっかり確保する方針でデザインされたインテリア。コンセプトカーとはいえ、一定のリアリティがある。feel-good oasis(心地よいオアシス)のように、というコンセプトだそう

 そのいっぽうで、今回発表されたデザインは、2、3年の内に変更される可能性もあるという。「私たちはたくさんの中国企業とコラボレーションしてきました」とミント氏。「そのなかで、どうすれば(開発期間を)短縮できるかについて学んできました。今後は私たち自身も(開発)プロセスをスピードアップさせていく計画です」

 ここでも、伝統に囚われるだけでなく、必要とあらばライバルたちの真似をしてでもグローバル自動車市場の戦いを生き残っていこうとする明確な意思が感じられる。

 しかし、彼らが「伝統の強み」を意識し始めたことには大きな意義がある。いや、新興勢力に打ち勝つにはそれしかなかったといってもいいだろう。

理念がリアリティを獲得した

 コストパフォーマンスについても同様なことがいえる。手頃な価格は目指すが、クォリティを落してまで低価格化することはない。ID.クロスの内外装を見るだけでも、フォルクスワーゲンのそうした戦略は容易に想像できる。

 技術開発や生産、さらにはEVの走行に必要となる電力供給に関してもヨーロッパ主体で進めていくことが明言された。そしてフォルクスワーゲン・グループ全体として「ヨーロッパにおけるEV生産の主導的な地位をより強化すること」を目標に掲げつつ、しばらくはエンジン車やハイブリッド車の生産を継続する方針であることも明らかにした。電動化に代表される理念先行の戦略から現実路線への大幅な見直しといっていいだろう。

 言い換えれば、無闇に戦線を拡大するのではなく、自分が得意とする分野とやり方でライバルと戦う戦略に切り替えたとも受けとめられる。

 それは決して逃げではない。むしろ、自分たちの強みを再確認して自信を取り戻したからこそ選択できた戦略といえる。新たな意気込みで開発されるフォルクスワーゲンのニューモデルに期待したい。