大谷 達也:自動車ライター

多品種少量

「DIFFERENT FERRARI FOR DIFFERENT FERRARISTI」

 近年、フェラーリがしきりに用いる言葉だ。意訳すれば「ひとりひとりのフェラーリ・ファンに、個性豊かなフェラーリを……」とでもなるだろうか。つまり、ひとくちにフェラーリ・ファンといってもその好みは人それぞれなので、フェラーリとしてはひとりひとりのファンにあったモデルを提供していくというわけだ。

 これと並んで「DIFFERENT FERRARI FOR DIFFERENT MOMENTS」という言葉もよく使われるが、こちらは「ひとりのフェラーリ・オーナーでも、使う用途にあわせて様々なフェラーリが必要となる」という意味だろう。こうした発想が多品種少量生産という方針につながっていくのだが、これについては近日、Japan Innovation Reviewにて公開予定の記事で詳しく紹介することにしよう。

 こうしたフィロソフィーに従って、またしても新しいフェラーリが誕生した。それが「296スペチアーレ」と「296スペチアーレA」である。

右が「296スペチアーレ」左が「296スペチアーレA」

 2台は、それぞれクーペ版の「296GTB」とスパイダー版の「296GTS」をベースに開発された高性能バージョンで、「296スペチアーレA」に添えられたAは、イタリア語で「開く」を意味するApertaの頭文字に由来する。

フェラーリ 296 GTS

 「296スペチアーレ」と「296スペチアーレA」は、ルーフの開閉機構や車重などを除けば基本的に仕様は同一なので、以下、単に「296スペチアーレ」と呼んだ場合には「296スペチアーレ」と「296スペチアーレA」の両方を指していると考えていただければ幸いである。

フェラーリ伝統のレシピ

 では、フェラーリはどのようにして296GTBと296GTSのパフォーマンス向上を実現したのだろうか?

 これについて、フェラーリには伝統的なレシピがある。それはモータースポーツ活動で培ってきた技術を応用して性能を向上させるというものだ。

 この手法を用いて最初に登場したのが2003年のチャレンジ・ストラダーレ。

フェラーリ チャレンジストラダーレ

 ベースとなったのは360モデナだが、これをベース車両として用いたワンメイクレース“フェラーリ・チャレンジ”のマシンを公道用にモディファイしたモデルがチャレンジ・ストラダーレとの位置づけ。ちなみにストラダーレはイタリア語で公道を意味する。続いて2007年には430スクーデリア、2013年には458スペチアーレ、そして2018年には488ピスタと、ミッドシップの量産車をベースにした高性能モデルを次々と投入。

フェラーリ 430 スクーデリア
フェラーリ 458 スペチアーレ

 これらをフェラーリはスペシャル・モデルと呼んでいるが、ベースとなった量産車よりも生産台数が極端に少ないことから、いずれも販売後に市場価格が大きくつり上がる“プレミアムモデル”として人気を博してきた。

 その最新作である296スペチアーレも、パワートレインの性能を引き上げるとともにエアロダイナミクスを改良し、足回りを固めるというモータースポーツ界ではお馴染みの手法でパフォーマンスを高めている。

880PS・後輪駆動を実現するエアロダイナミクス

 まず、3.0リッターV6ツインターボ・エンジンとプラグインハイブリッド・システムを組み合わせたパワートレインは、エンジンの主要パーツであるピストン、コネクティングロッド、クランクシャフトなどを強化品と交換。さらに圧縮比を高めるとともにエンジン・マネージメント・システムのソフトウェアを最適化するなどしてベースモデルから37psの出力向上に成功。エンジン単体で700psの最高出力を謳う。

 いっぽうのプラグイン・ハイブリッド・システムは、バッテリーやモーターなどの主要コンポーネントを変更することなく、冷却性能の向上とソフトウェアの改良などでベースモデル+12psの154psを達成。エンジンとプラグイン・ハイブリッド・システムをあわせたシステム出力として880psを豪語する。

 ところで、296スペチアーレの駆動方式はベースモデルと同じ後輪駆動。つまり2本のタイヤだけで880psのパワーを路面に伝えなければいけないわけだ。この難しいタスクを完遂するため、後輪に加わる垂直荷重、つまりダウンフォースを増大させることでリアタイヤのグリップを改善し、十分なトラクション性能を確保させようとした。

 そうした努力の成果として誕生したのが、サイドウィングという名の空力デバイスである。

 これはリアフェンダーの後半部分から垂直に立ち上がったパネルをボディー中央に向けて90度折り曲げたような形状をしたものだが、不思議なのは、左右のサイドウィングがつながれてなく、ボディー中央部でぽっかりと途切れた形状とされたことにある。

 実は、296GTBにはエンジンカバー後端から迫り上がるアクティブスポイラーと呼ばれる可変空力パーツが装備されているが、296スペチアーレでもこれを流用し、左右のサイドウィングの間に生まれた「すき間」を埋める働きを持たせたのだ。

 さらに、サイドウィングの装着にあわせてリアディフューザーやボディー底面のエアフローを整流するアンダーパネルなどを最適化し、ダウンフォースの増強を実現している。

 いっぽうのフロントセクションでは、フロントスポイラーから採り入れた気流をフロントウィンドウ手前のスリットから上方に向けて排出するエアロダンパーの装着が目新しい。

フロントフードの中央部がエアロダンパー排気口

 よく似た空力デバイスにSダクトと呼ばれるものがあるが、エアロダンパーは気流の経路をコンパクトにすることでフロントフード下にラゲッジルームを確保することに成功。いっぽう、気流の経路が狭くなったことで発生できるダウンフォースの量には限りがあるが、それでもノーズ部分が上下に揺れるピッチングを抑える効果があるという。

 同じくフロントセクションでは大型のフロントスポイラーを装備することなどでダウンフォースを増やし、リアとのバランスをとっている。ちなみにボディー全体で発生するダウンフォースは250km/h走行時に435kgと、ロードカーとしては例外的な大きさとなっている。

なぜもっとアグレッシブなデザインにしないのか?

 パワートレインやエアロダイナミクスの性能向上にあわせてサスペンションも固められているが、それも決して過大なレベルではないと、チーフ・プロダクト・デベロップメント・オフィサーのジャンマリア・フルジェンツィは教えてくれた。つまり、296スペチアーレはただサーキットを速く走るだけのスパルタンなモデルではなく、実用性や快適性にも考慮されているのだ。このことは、Sダクトをコンパクトにしたエアロダンパーをわざわざ開発し、フロントにラゲッジスペースを確保したことからも理解できる。

 実は、296スペチアーレを各国のメディアに紹介するスニークプレビューにおいて、ヨーロッパ圏の少なくないメディア関係者から「どうして独立したリアウィングではなく、サイドウィングのようなものを装備したのか?」という質問が相次いで飛びだした。彼らはポルシェ911GT3 RSのような、アグレッシブな外観のスポーツモデルを期待していたのだ。

 しかし、296スペチアーレのコンセプトが911GT3 RSと大きく異なっていることは、前述のフルジェンツィだけでなく、デザイン担当役員のフラヴィオ・マンゾーニも明確に主張していた。「フェラーリはもっとエレガントで、実用的であるべきだ」というのが彼らの考え方なのだ。さらにマンゾーニは「もしもサーキットで本当に高いパフォーマンスが欲しいなら、(フェラーリ・チャレンジで用いられるレーシングカーの)296チャレンジを買えばいい」とも語っていた。

「いやいや、そこまでの財力はない」と我々庶民は答えてしまいそうになるが、本当の富裕層であれば296GTB、296スペチアーレ、296チャレンジのすべてを買ったとしても不思議ではない。そしてそれこそが「DIFFERENT FERRARI FOR DIFFERENT FERRARISTI、DIFFERENT FERRARI FOR DIFFERENT MOMENTS」のコンセプトなのだ。

 ちなみにイタリア国内における296スペチアーレの価格は40万7000ユーロ(約6650万円)、296スペチアーレAは46万2000ユーロ(約7540万円。いずれも税込み)と発表されている。

フェラーリ 296 スペチアーレ発表の様子はこの記事の著者、大谷達也氏のYouTubeチャンネルThe Luxe Car TVでも公開中!