大谷 達也:自動車ライター

©Duccio Malagamba
イタリア共和国エミリア=ロマーニャ州モデナ県のコムーネ「マラネッロ」がフェラーリの本拠地。その本社工場の近くに誕生した「とんでもない規模の建物」が今回、大谷達也氏が訪れたフェラーリ「e-ビルディング」

e=EVとおもったら早計

 自然吸気V12エンジンを積んだ最新モデル“12 Cilindri”を1ヵ月半ほど前にワールドプレミアしたばかりのフェラーリが、今度は初の電気自動車(EV)を生産する新工場をオープンさせたのだから、その変わり身の速さには目を見張るものがある。

 もっとも、その名もe-ビルディングと名付けられたこの施設、決してEVだけを生産するためのものではないというのだから興味深い。

「e-ビルディングのeには3つの意味があります。ひとつはエネルギー(Energy)、そして進化(Evolution)、3つ目が環境(Environment)で、決して電気(electric)を指しているわけではありません」

 発表会で挨拶したフェラーリのベネデット・ヴィーニャCEOは、そう説明した。

落成式はフェラーリのベネデット・ヴィーニャ CEO(写真左)ピエロ・フェラーリ副会長(中)ほか、ジョン・エルカーン会長らフェラーリの代表社員が揃いイタリア共和国大統領セルジョ・マッタレッラ氏(右)を招いて行われた

 事実、このe-ビルディングではEVやハイブリッドモデルだけでなく、純粋な内燃エンジンを積むモデルも生産される。これを実現するため、e-ビルディングはとりわけ生産の柔軟性に力点が置かれたという。

e-ビルディング内のライン。写っているのは最新のハイブリッド・スペチアーレ「SF90XX」!

 これは、実に的を射た戦略だ。

 近年、急速にシェアを高めてきたEVは、昨年は多くの国々でシェアの伸び率が鈍化した。2035年からエンジン車の販売を禁止する方針だったEU議会も昨年にはその態度を軟化させ、e-fuelを用いることを前提に2035年以降もエンジン車の販売を認める方針を打ち出した。ここでいうe-fuelとは、大気中から集めたCO2と水素から精製した液体燃料のことで、燃焼させても実質的にCO2を排出しないカーボンニュートラル燃料の一種と認められている。

 ただし、このEUの法案がそうだったように、自動車の規制が将来的にどのように変化するかはまったく予想できない。そして、昨年EVの伸び率が鈍ったことからもわかるとおり、今後の市場動向も予測しがたい。そうした混沌とした状況に的確に対応するなら、柔軟な生産体制は欠かせないといえるだろう。

SF90とプロサングエのボディがすれ違う

 発表会に続いて行なわれた質疑応答で、私がこの点を指摘すると、ヴィーニャCEOは「あなたは状況をよく理解している」と語り、パワートレインの柔軟な生産体制がe-ビルディングを作ったひとつのきっかけであるたことを認めた。

写真のプロサングエにくわえ、自然吸気12気筒エンジンモデルの生産継続を高らかに宣言した「12チリンドリ」もこのe-ビルディングで生産される計画という

新工場の価値はどこにあるのか?

 いっぽうでヴィーニャCEOは、e-ビルディングの建設が「売り上げ高の拡大よりもバリューの向上に役立つ」と力説していた。そしてe-ビルディングの柔軟な生産設備が「パーソナライゼーションの一層の強化に貢献する」とも語った。

 パーソナライゼーションとは、顧客の好みにあわせてクルマの仕様を変更することで、一般的な感覚でいえばオプション装備に近い。そしてオプションをたくさんつければつけるほど車両価格が上昇するのと同じように、パーソナライゼーションで様々な装備をつけたり仕様を変更すると、それにあわせて車両価格も上昇する。つまり、販売台数が同じでも売り上げ高を増やすことが可能になるのだ。

 しかも、一般的にいってパーソナライゼーションは手間が掛かる作業が多いので、利益率も高い。したがって、パーソナライゼーションを有効活用すれば、販売台数を増やすことなく売り上げ高と利益率の改善を図れるのである。

 事実、フェラーリが過去5年間に記録した販売台数、売り上げ高(NET Revenue)、利払前・税引前利益(EBIT)の関係を見ると、販売台数は約35%の伸びなのに、売り上げ高は約59%、利益に至っては約76%も伸びている。つまり、1台あたりの利益は、この5年間で着実に伸びてきたのだ。こうした傾向は、e-ビルディングの完成とともに、さらに顕著になるだろう。

 そのe-ビルディング、イタリア大統領まで招いて催された落成式の数日後には本格的な量産体制を構築するための準備が始められ、2025年の第1四半期には純粋な内燃エンジンもしくはハイブリッドシステムを搭載したモデルがラインオフする模様。続いて2025年末にはフェラーリ初のBEVを発表し、2026年中にはその納車が始まる計画という。

e-ビルディング内を視察するセルジョ・マッタレッラ大統領

フェラーリより速く走るクルマがあったら、それよりも速いクルマをフェラーリは作る

 ところで、なかなか普及が進まないEVについて、ヴィーニャCEOはこんなことを語っていた。「いま、ペトロヘッド(頭のなかがペトロール=ガソリンでいっぱいのことから転じて、熱心な自動車愛好家のことを指す)の人は一生ペトロヘッドのままかもしれません。そのいっぽうで『フェラーリがEVを発売するまで、私はフェラーリ・ファミリーには入りません』とおっしゃる方もいる。私自身は、フェラーリをなにかひとつだけの理由で買う人は稀だと考えています。むしろ、いろいろな魅力がバランスよく揃っているからこそ、お客さまはフェラーリを買って下さるのです」

 つまり、フェラーリ製EVを購入する顧客層は、これまでとはまったく異なっているかもしれないとヴィーニャCEOは考えているのだ。

 ご存じのとおり、フェラーリの新型車は作れば作っただけ飛ぶように売れていき、発注してから納車されるまで2年近くかかることも珍しくはない。「それだけビジネスが盤石ならば、敢えてリスクが伴うEVへの設備投資など、しなくてはいいのではないか?」 そんな風に捉えても不思議ではないだろう。

©Duccio Malagamba

 それでも、いま、フェラーリが敢えて不透明な未来に投資しようとしているのは、ヴィーニャCEOのこんな思いが根底にあるからかもしれない。

「将来について自信を持ちすぎると、必ず失敗します。私はハイテク産業からこの世界に入ってきましたが、そのハイテク産業では2年か3年に一度、『自分がやっていることは本当に正しいのか?』と見直すことになっていました。しかし、世界の企業のなかには、こうしたことを理解していない人たちもいます。そのような企業で働く人たちは『もはやアクセク働かなくても大丈夫』と思っているのかもしれませんが、電子産業の世界では、そうした企業がいくつも倒産の危機を迎えています。だから、ヨーロッパは目覚めなければいけない、と私は申し上げたい。そして、私たちより速く走る人たちがいたら、自分たちはそれ以上に速く走らなければ敗れてしまうという、シンプルな原則を思い起こすべきでしょう」

 最後に、ヴィーニャCEOは創業者エンゾ・フェラーリを引き合いに出して、こう語ったのである。

「エンゾ・フェラーリはこの原則をよく理解していました。だから、もしもフェラーリより速く走るクルマがあったら、それよりも速いクルマをフェラーリは作ろうとしてきた。それが、フェラーリのDNAなのです」

 果たして、私たち日本人はどうなのか。改めて、自分の胸に手をあてて深く考えてみたくなった。