ご利益は延命長寿、厄除け、縁結び

 ともあれ現在の多賀大社は、国生みの功労者である伊邪那岐大神、伊邪那美大神夫妻が仲睦まじく暮らすのにふさわしい落ち着いたたたずまい神社である。ご利益は延命長寿、厄除け。そしてもちろん、縁結びのご利益もある。

太鼓橋

 鳥居をくぐると太閤橋と呼ばれる太鼓橋がある。豊臣秀吉が天正16年に米一万石を奉納。母大政所の病気平癒を祈って、この橋を奉納した。続いて御神門。ここから拝殿、神楽殿、幣殿、本殿とまっすぐに連なる参道がすがすがしく壮麗である。

拝殿

 拝殿内には「お多賀しゃくし」と呼ばれる大きなしゃくしも奉納されている。奈良時代の女帝、元正天皇が病気になった際、こちらの神社の神主が強飯を炊き、しでの木で作った杓子を献上したところ、天皇はただちに快癒した。そのためこの杓子は、無病息災の縁起物として人気となった。現在は、絵馬も杓子の形をしている。

お多賀しゃくし    アラツク, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

 もうひとつ、ぜひ立ち寄りたいのは、本殿の左側にある奥書院である。江戸時代に建てられた書院造りの様式をよく留めているとして、県の文化財に指定されている。美しい庭や襖絵もあり、神社というより寺を訪れた心地がするが、それもそのはず、こちらは当時の別当寺だった不動院の建物であるという。この神社も神仏混淆の地で、昔はほかにも境内に寺院があったようだ。文化人たちもこちらでよいひと時を過ごしたようで、さまざまな人物が奉納した絵馬も飾られている。池波正太郎、司馬遼太郎、入江泰吉、渥美清、八千草薫など、それぞれの個性が伝わってきて実に興味深い。

 お参りを終えたら「絵馬通り」と呼ばれる門前町をそぞろ歩くのもよい。こちらの名物は糸切餅という和菓子だ。米粉で作った白い餅に青い線が二本、間に赤い線が一本入り、中に上品な味のこし餡が入っている。一度長く伸ばしたものを、糸で切って一口大にするので糸切餅という名がついた。由来には諸説あるが、この青と赤の縞模様が蒙古軍の旗を模しているという説が有力だ。多賀大社ではその旗を断って埋めることで戦勝祈願をしたとされ、それにあやかって門前町の住民が縞模様の餅を弓の弦で切ったのが糸切餅の始まりという。

 きれいでとても美味しいこの餅の起源が元寇であったとは驚きだ。神社とその周辺では、深堀りすればするほど面白い話が見つかる。