道長の娘・彰子への出仕

 一方で道長は、長保元年(999)に12歳の娘・見上愛が演じる彰子(母は、黒木華が演じる源倫子)を、塩野瑛久が演じる一条天皇に入内させた。

 一条天皇にはすでに、高畑充希が演じる定子という中宮がおり、一条は定子を寵愛していた。

 それにもかかわらず、道長は彰子の立后を迫り、定子を「皇后」、彰子を「中宮」とする、史上初の「一帝二后」(一人の天皇に、二人の正妻)が、長保2年(1000)2月に決行されている。

 だが、同年12月、定子は第三子となる皇女・媄子を出産した翌日にこの世を去ったため、一帝二后は10ヶ月で終わりを告げた。

 ファーストサマーウイカが演じる清少納言(ドラマでは、ききょう)を初め、才気溢れる女房たちが揃った華やかな定子の後宮は、風流と機知に満ち、一条天皇や貴族たちに愛されていた。

 道長は娘・彰子が一条天皇の寵愛を得るためにも、彰子の後宮も定子の後宮に匹敵する文化の高いものにする必要があり、有能な女房を召し抱えていく。

 紫式部も寛弘2年(1005)か寛弘3年(1006)の年末から彰子に出仕し、女房群に加わった。宣孝の死から4年、あるいは5年後、紫式部が33歳か34歳ぐらい、彰子が18歳か19歳のときのことである。

 紫式部が彰子の女房となったのは、書き始めた『源氏物語』が評判となり、その評判を聞きつけた道長からの要請だと推定されているという(山本淳子『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』)。

 なお、大河ドラマの時代考証を務める倉本一宏氏は、『源氏物語』は道長の依頼により起筆されたという可能性を提示している。道長の目的は、文学を好む一条天皇が、『源氏物語』の続きを読むために彰子の御所を頻繁に訪れ、その結果として、皇子懐妊の日が近づくというものであったという(倉本一宏『人をあるく 紫式部と平安の都』)。

 いずれにせよ、紫式部は宮中の女房という、新たな世界に飛び込むこととなった。