道長との関係は?
ドラマでは相思相愛の紫式部と道長であるが、二人はどのような関係だったのだろうか。
『紫式部集』では、道長が花盛りの女郎花を一枝折らせて、几帳越しに紫式部に与え、女郎花の和歌を交わしている。
また、『紫式部日記』には
寛弘6年(1009)夏頃、道長の
すきものと名にして立てれば見る人の 折らですぐるはあらじとぞ思ふ
(貴女は浮気者という評判ですから、誰もが口説くことでしょう)
という歌に対し、紫式部は
人にまだ折られぬものを誰かこの 好きものぞとは口ならしけむ
(私は誰にも折られておりません。誰がそんな噂を流しているのですか)
と、返歌したことが記されているが、これは、挨拶程度の戯れに過ぎないとみられている。
さらに、ある夜、道長と思しき男性が、紫式部の局の格子戸を叩き、翌朝、歌を贈ってきたが、紫式部は拒絶したというエピソードが続く。
南北朝時代に編纂された系譜集『尊卑分脈』には、紫式部は「御堂関白道長の妾」と記されているが、その下に「云々」と添えられおり、根拠のない伝承とされる(以上、今井源衛『人物叢書 紫式部』)。
ドラマでは今後、二人の関係はどのように描かれるのだろうか。
実資との意外な繋がり
寛弘8年(1101)6月に、一条天皇は崩御し、木村達成が演じる三条天皇が即位した。長和元年(1012)2月、彰子は皇太后となったが、紫式部はその後も、彰子に仕え続けた。
秋山竜次が演じる藤原実資の日記『小右記』5月25日条では、実資が以前から越後守為時女(紫式部のこと)を取次役として、彰子に雑事を啓上させていたことが記されている。
これにより、『小右記』寛仁3年(1019)5月19日、8月11日、寛仁4年(1020)9月11日、12月30日に登場する「女房」も、紫式部とみる説もある。
紫式部の没年は諸説があり、定かでない。
『源氏物語』の作者として、その名は永遠に語り継がれるだろう。