ガストロノミー界の話題は、常に世界の果てを駆け巡る。食文化の辺境だった北欧で「noma」がイノベーションを起こし、ペルーの「セントラル」は中南米の生態系を食に昇華する。貪欲な舌が次にどこに向かうのか、それはアフリカかもしれない。
その兆しは見えている。2022年にアフリカ、ベニン出身の女性シェフ、ジョルリアーナ・ヴィオウがミシュランひとつ星に輝いた。彼女がフレンチに融合させた、エキゾチックなアフリカのフレーバーが、食のプロたちの強い興味を惹きつけた。
日本よりもうまみ大国、西アフリカ
1500以上の民族がいる広い大陸を「美食目線」で見ると、熱いのは西アフリカ諸国だ。ここは「和食」の専売特許のように思われている「うま味」の宝庫だ。ワタシがそれに気づいたのが、セネガルでのこと。欧米に旅行するたびにインスタント味噌汁「あさげ」をすすって、現地の食の「うま味」欠乏による満たされなさを補うのが、ワタシの旅先のルーティンだったが、セネガルでは、その「あさげ」が、未開封のままスーツケースに残された。当地の食事の十分過ぎるうま味に満たされていた。
納豆はアフリカ起源だった?
「『うま味狂』がいるとすれば、それは日本人でなくセネガル人だろう」
そう言うのは、ルポライターの高野秀行氏だ。辺境メシの権威である高野氏は『幻のアフリカ納豆を追え!』(新潮社)で、西アフリカのうま味の源を探求した。それがなんと、現地の納豆だったのだ。
納豆は和食ではなかった。アフリカ納豆は、セネガルでネテトゥ(語感まで似ている)、ブルキナファソでスンバラ、ナイジェリアではダワダワと呼ばれ、素材はパルキア豆、ハイビスカスの種、バオバブの種などさまざま。乾燥させて丸めたり、せんべい状、粉末にしたりと、これまた多様な姿になって市場に並び、料理に用いられる。日本でも「白ごはんに納豆」という食べ方が定着する以前に、納豆は調味料として使われていた。
高野氏が「うま味狂」料理の一例として挙げるのが、「スープカンジャ」だ。「“生の魚”“干し魚”“燻製の魚”と三種類の魚を入れ、形がなくなるまで煮込み、ダシにしてしまう。こんな贅沢な魚ダシの料理は世界にも例がないだろう」と感嘆する。
その「スープカンジャ」を、東京・浜松町の「カラバッシュ」で食べた。燻製魚の香ばしさ、干し魚のひなた臭さを、オクラがネバネバ包み込む。重層的に仕込まれた魚のうま味。こんなダシ使いは初体験だ。うま味大陸、恐るべし。