文=難波里奈 撮影=平石順一

外側はサクッと内側はふんわりとした食感がたまらない、人気のホットケーキ。専用の型で焼かれるため、余った生地の分も提供されるのが嬉しい

出会いの場であり、帰りたくなる場所

 一般的に「純喫茶」という言葉からは、「茶色を基調とした落ち着いた店内でナポリタンやクリームソーダを食べられる店」、とイメージする方がまだ多いのではないだろうか。しかし、何軒も巡るようになると、店主の数だけ個性があって同じ店は一つとしてないとよく分かる。

 1984年創業、外苑前にある「香咲」は、10年ほど前に先代である岩根志津子さんが引退したことをきっかけに娘の愛さんが後を継ぎ、建築の知識に長けていて画家でもある配偶者のジョナサン・ヒーバートさんと一緒に営んでいる。

コロナ禍の対応で作られた店頭のウッドデッキウッド。こちらも手作り

 志津子さんが主だった頃は、手作りのケーキが美味しい珈琲専門店だったが、愛さんが目指しているのは、「絵本に出てくるようなレストラン」だという。海外旅行が好きな愛さんが今まで出かけたいろいろな国で、目にしたものが内装に、口にしたものがメニューに色濃く反映されている。珈琲や料理のそのレベルの高さは、こちらで何かを口にすれば納得するのではないだろうか。

店内に飾られた皿はスペインのもの

 例えば、こちらの看板メニューともいえるホットケーキ。運ばれてきたときの良い香りを裏切らず、生地そのものだけでも味わい深いので、添えられたカルピスバターや乳成分の高い生クリームをつけるのをつい忘れて食べきってしまうこともしばしば。

秋冬限定の焼きりんごはスプーンでいただく

 決して広くはない厨房にあるたった2台のオーブンで、ホットケーキ、バナナタルト、焼きリンゴ、プリンほか、食事メニューを含むすべてを調理しているということにも驚いてしまう。

素朴な味わいのバナナタルト

 料理にも、あまいものにも合う香咲ブレンドは、2年寝かせたエイジングコーヒー豆を使用していて、提供されてすぐはもちろん、冷めてからも美味しい。

香咲ブレンド

 愛さんいわく「温度の高い時はスパイシーだが、会話に夢中になって時間が経ってしまったとしても、かえって丸みを帯びた優しい口当たりが美味しい」とのこと。

コーヒーはネルドリップ。豆本来の持つ香りと甘み、エスプレッソのような深いコク

 内装は、下北沢のトロワシャンブルや神保町のトロワバグなどを手掛けた松樹新平氏によるもので、南欧の田舎をイメージされている。愛さんが継いだことで変化もあるが、以前からの常連客や久しぶりに訪れた人たちががっかりしないよう、整えながらも違和感なく懐かしさを覚えてもらえるよう気を付けているそう。

現在では珍しい一枚板のカウンター

 本来であれば、「純喫茶」という場所は、いつでも落ち着いていて珈琲を飲みながら本を読んだり、 誰かとゆっくり話せる場所であることが望ましい。しかし、原材料のみならず人件費や家賃の高騰が現実問題としてある以上、そうも言っていられず、どの店でもさまざまな工夫を凝らして、常連客のみではなく、これから店を支えてくれる人たちも呼び込むことが課題になっている、と愛さんとの会話で実感する。

店奥にある半個室のような空間も居心地がいい

 店名の「CASA」とは、イタリア語・スペイン語・ポルトガル語などで「家」を指すそうで、こちらを愛する人たちが帰りたくなる場所でもあり、初めて訪れる人にとっては出会いの場所にもなる。そこで過ごす時間は、珈琲に混ざり合うミルクのように一期一会で、それはなんてことのない日常の一コマでありながら、後で思うとほんの少し人生を変えるきっかけになったひと時だったりもする。

「これからもインチキせずに、納得のいくきちんとしたものを届けたい」と、まっすぐな目で話してくれた愛さん。夜も楽しめるように、昨年末より営業時間を21時まで延長。香咲のこれからのチャレンジを一客として楽しみにしている。