今年5月場所に引退を発表した元大関・栃ノ心が、貿易家に転身。現在は日本とジョージアを行き来しながら、ワインの輸入を行っている。17歳で来日し、大怪我を乗り越えて幕内優勝と大関昇進を果たすまでの相撲人生。セカンドキャリアとしてワインの輸入を選んだ理由、さらにジョージアワインの魅力や文化について、色々聞いてみた。
幕内優勝を果たした名力士、元大関・栃ノ心の相撲人生
幼少時から柔道に親しみ、ジョージアのオリンピックジュニア代表選手であった実力を見込まれ2004年「世界ジュニア相撲選手権大会」出場のため初来日。
「日本は、柔道の母国。祖父とともに山下泰裕さんや篠原信一さんの試合を何度もビデオで見ていたので、とにかく日本という国に行ってみたかった。相撲は全然知らなかったから、開催地が日本でなければ、参加しなかったかもしれない」
その後縁あって角界へ進み、2006年3月場所初土俵。持ち前の怪力振りと足腰の強さ、名門春日野部屋の猛稽古で培った右四つの型を武器に異例のスピード出世を果たし、わずか11場所で関取の座を獲得する。
「十両昇進が一番うれしかった。十両からは関取として大銀杏が結え、付け人も付きます。そして、毎月給料が出るんです。当時は振り込みじゃなかったので、同時に昇進した兄弟子、木村山関(現:岩友親方)と現金を手に大喜びしました(笑)。幕下以下の力士は『力士養成員』といって練習生の扱いで、年6回の手当のみ。そのころでも実家に仕送りをしていたから、本当にお金がなくて。これでもっと家族を助けられると思いました」
どこまでも辛抱強く稽古熱心として知られていた彼だが、慢心がなかったわけではない。
人生やり直したら、最強の横綱になる!
「順調に番付が上がったこの頃は、本当に楽しかった。つい少し……いや、だいぶ遊びすぎたかな(笑)。きっと誰かが見ていたんですね、あれはちょっとした罰だったかもしれない」
そう話すのは、2013年、場所中に負った右膝の前十字靭帯と内側側副靭帯断裂の大怪我。手術と休場のため、番付は幕内上位から幕下へ。リハビリに取り組んでも思うような結果が出ず、もう土俵に上がれないのではと考えることも。
しかし、師匠である春日野親方(元関脇:栃乃和歌)やファンの声に支えられて奮起。以降、さらに力強い相撲で幕下、十両の4場所連続優勝を経て、幕内復帰。2018年初場所では神懸かり的な強さを見せつけ、ついに幕内優勝、大関昇進を掴んだ。
この活躍で、母国でスポーツ選手に贈られる最高位の勲章も受章。マルグベラシビリ大統領も「ジョージアの誇り」と賛辞を贈り、もはやジョージアの英雄として彼の名を知らぬものはいない。「言葉も文化も違う。ただ苦労させるだけではないか」と彼の受け入れを躊躇しながらも、厳しく正しく導いた春日野親方と交わした抱擁シーンは、名場面として相撲ファンの心に刻まれているはずだ。
引退発表後「もし人生をやり直せるなら、また日本で力士になりますか?」という問いに、彼は即答した。「なります。もっと強くなりたかった」
来年2月の断髪式までは、春日野部屋の力士に稽古をつける。
「力士人生は短い。強くなるには、稽古しかありません。疲れているから明日やろうではなく、今日やらないと。若い衆(幕下以下の力士)にも伝えていますが気づくのは自分で、教えることって本当に難しい。私も気づけていたら、もっと早く大関になれていたかもしれないし、その上の番付も狙えたかもしれない。やり切ったけど、後悔がないわけではない。やっぱり、もっと強くなりたかったな」
そして、栃ノ心が第二の人生の最初に選んだのがワインだった。