大谷 達也:自動車ライター

英国の歴史ある自動車工場

 先日、ベントレーに招かれて同社のクルー工場を訪ねた。

1917年から1918年にかけて生産されていた星型エンジン「B.R.1」。第一次世界大戦中、西部戦線を飛んだ「ソッピース キャメル」に搭載されていた。17.3リットルで150bhp(152PSくらい)というスペックだったそうだ

 1938年に航空機用エンジンを生産するために建設されたクルー工場は、第二次世界大戦後、自動車生産工場として復活。1946年以降に誕生したすべてのベントレーの生まれ故郷として知られる歴史ある施設だ。

2022年にオープンしたヘリテージガレージにはかつてベントレーが生み出したクルマが動態保存されている

 私がここを訪れるのは4、5度目だが、来るたびに何かしらが変わっていて、ベントレーというブランドの伝統と変革がここに端的に表現されているように感じる。

CW1ハウスにて

 クルー工場の正面ゲート近くに4年ほど前に建てられたレセプションルーム“CW1ハウス(CW1はクルー工場の郵便番号)”で我々を出迎えてくれたのは、広報部門のトップで旧知のウェイン・ブルース。久しぶりの再会にまずはハグをかわすと、ウェインは私たちにベントレーの歴史について語ってくれた。

史上3回目のブレイクスルーが今

 ここでウェインは「ベントレーにはこれまでに3度のブレイクスルーがあった」と指摘。「1度目はWOベントレーが1919年にベントレーを設立したとき、2度目は1931年にロールスロイスに買収されたとき」と説明した。

ウェイン・ブルースさん(写真:大谷達也)

 そして3度目のブレイクスルーが、いままさに進行中だとウェインはいう。それが2030年までに事業全体をカーボンニュートラル化するベントレーの中期計画“ビヨンド100”である。

「もっともサステイナブルなラグジュアリー・モビリティ・ブランド」となることを目標に掲げたこの計画に従えば、2026年までにベントレーはすべてのモデルをプラグインハイブリッドもしくは電気自動車(BEV=Battery Electric Vehcle)にするとともに、2030年までには全モデルをBEVにスイッチ。しかも、ただ製品をゼロエミッション化するだけでなく、将来的にはサプライチェーンを含む事業全体をカーボンニュートラルにするという。

 ベントレーのように、サイズが大きくて強力なエンジンを搭載したラグジュアリーカーは、コンパクトカーに比べればはるかにCO2排出量が多く、環境負担も重いと考えられがち。しかし、顧客の多くが社会的なリーダーでもあるベントレーが環境問題に積極的に取り組むことは、ブランドとしての重要なメッセージとなりうる。そして、そうすることがノーブレスオブリージュの精神からいっても相応しいというのがベントレーの考え方なのだろう。

収益率改善の原動力は「マリナー」

 われわれがクルー工場を訪れたときにも、電動化モデルの生産施設が建設中だったが、これらに必要な25億ポンド(約4600億円)投資はすべて自己資本でまかなうというから驚く。実は、ベントレーは2018年に2億8800万ユーロ(当時のレートで約370億円)の赤字となって負債を抱えたが、その後は急速に収益力が改善。2022年には営業利益が7億800万ポンド(約1300億円)に達したことが、将来への備えを自己資本でまかなうための原動力になったようだ。

 そして、ベントレーのこの急速な収益率改善を支えているのが、同社のマリナー部門にあるという。

 もともと世界最古のコーチビルダー(馬車や自動車のボディを架装するメーカーのこと)として知られるマリナーは、1959年にロールスロイス/ベントレーによって買収された。その後、1998年にベントレーがロールスロイスと袂を分かってからも、マリナーはベントレーの一部門として活動を続けている。

 現在、マリナーは以下の3領域を業務として担っている。

 ひとつは、往年の名車を現代の技術で再生するコンティニュエーション・プログラムの“クラシック”。その第1弾が1929年ブロワーで、第2弾がスピードシックスとなることが2022年に発表された。

2021年、12台がマリナーの手で復刻生産された『Bentley 41/2 Litre Blower』ベントレーが所有する当時の車両を分解し、各パーツを3Dスキャナーで測定して、完璧なデジタルモデルを作成。それをもとにリバースエンジニアリングされた。
ホワイトのモデルも

 第2の領域が“コーチビルディング”で、これは数台から10数台程度の特別なモデルを限定生産する業務。これまでにバカラルとバトゥールの2モデルが発表され、いずれも完売となっている。

マリナーが12台だけハンドビルドした『マリナー バカラル』は2020年の発表
2022年に発表された『マリナー バトゥール』は18台限定だった

 そして3番目が、ベントレーのカタログモデルを華麗に彩るオプションやグレードの企画・開発などを受け持つ“コレクション”である。

ベントレー伝統のビスポークの世界

 いずれも現代のラグジュアリカーブランドを経営するうえで重要な役割を果たすビジネスばかりだが、このなかで我々にとってもっとも身近(といっても私には手が届かないけれど……)がコレクション部門。とりわけビスポークと呼ばれるパーソナライゼーション・プログラムは、紳士服や靴の世界でイギリスがもっとも得意とする分野であると同時に、「世界でたった1台」の特別なベントレーを作り上げるという意味でも夢のあるプログラムだ。

木目の揃ったウッドパネルはベントレーの伝統。世界中の上質な木材がここに集う。もちろん優れた木材であることだけでなく、林業がサステナブルに営まれていることも調達の条件

 今回は、私たちもマリナー部門に用意された特別なコンフィギュレーター(オーダーした内容をコンピュータースクリーン上で可視化する一種のシミュレーター)を用いて「夢の1台」を作り上げてみたが、その選択肢の多さには舌を巻くばかり。たとえばシートのカラーは、すでに用意されているものだけでもかなりの数に上るが、それをシートに貼られたレザーの小さなパーツに至るまで個別にチョイスできるというのだから気が遠くなる。

レザーもステッチも職人の手仕事が完成させる

 ちなみにウェインは「時差ボケで眠れなくなったらネットでベントレーのコンフィギュレーターを試してみて。460億通りから選べるので、眠れない夜にはぴったりだよ」と語っていたほどだ。

多様性の価値を知るからこそインクルーシブである

 話をベントレーの社会貢献に戻せば、彼らはカーボンユートラル化を目指しているだけでなく、「もっともダイバースでインクルーシブなラグジュアリー・カーブランドになる」ことも目標に掲げている。

 ダイバースとはダイバーシティであること、つまり多様性を受け入れることを意味し、インクルーシブも同様に差別なくあらゆる人々を受け入れる姿勢を指している。いずれも、人権問題に興味がある方であれば、すでにお馴染みの言葉であるはず。もっとも、多様性といっても様々な分野があって、そのなかには性的マイノリティ、国籍や人種、性別、健康状態に基づく偏見を取り除くことも含まれている。

ビロンギング・ベンテイガ

 こうした活動の一環として、ベントレーは“ビロンギング・ベンテイガ”と呼ばれる特別な1台を制作した。そのボディには、芸術家スティーヴン・ウィルシャーの手で29ヵ国の人と風景が描かれている。

 ウィルシャーは幼い頃に自閉症と診断されたが、一度目にした景色を克明に描写する特殊な才能の持ち主で、MBE(大英帝国5等勲爵士)の受勲者でもある。つまり、ウィルシャーの作品だけでなく、彼自身がインクルーシブの思想を体現しているともいえるのだ。

 もうひとつ特筆すべきなのが、LGBTQ+の方々に対する団結や支援を呼びかける活動を行なっていること。たとえば2023年にはクルーにほど近いマンチェスターで行なわれた“マンチェスター・プライド”と呼ばれるパレードに参加。

 5名のベントレー社員とそのパートナー、さらには同社と縁のある人々が、ベントレーのデザイナーであるリッチ・モリスの手になるレインボー・カラーのラッピングが施されたコンチネンタルGTCとともにマンチェスターの街をパレードしたという。

 こういった人権活動は、いまでは幅広く社会的に認知されているにもかかわらず、ラグジュアリーカーブランドとして明確に支援の声を発したのはベントレーが最初のように思う。しかし、環境問題に積極的に取り組むのと同じように、この種の人権活動に取り組むのもまた、顧客に多くの社会的リーダーを抱えるベントレーにとっては自由で先進的な考え方を示す絶好の機会といえるかもしれない。

 伝統を重んじつつ、開かれた未来にも目を向ける。今回のクルー工場訪問を終えて、そんなベントレーの姿勢に深い共感を抱いた。