大谷 達也:自動車ライター

英国の先鋭的スポーツカーブランド「ベントレー」

 1919年にベントレー・モータースを創業したWOベントレーは、もともと航空機用エンジンを手がける技術者で、1シリンダーあたり4本のバルブを設けたエンジンをいち早く設計するなど先進的な思想の持ち主だった。

 ベントレーは創業初年度、つまり1919年に自動車用の3.0リッター4気筒エンジンを試作するが、ここにもオーハーヘッドカムシャフト、4バルブ、1シリンダーあたり2本の点火プラグなどの、現代でも通用するテクノロジーが採用されていたことは驚愕に値する。

 先進技術によりハイパフォーマンスを実現したベントレーがモータースポーツに興味を抱いたのは自然な流れで、創業4年目の1923年に初開催されたフランスのルマン24時間に参戦すると4位で完走してみせた。

ベントレーとロールス・ロイス

 初年度の優勝を逃したベントレーは翌年のルマンに万端の準備を整えて出場。初優勝を飾る。さらに1927年からは4連勝を達成し、ベントレーの名を世界中に知らしめた。ところが1929年に起きた大恐慌によりベントレーの財務状況は悪化。これに目をつけたのは、新興ベントレーが自分たちの脅威となることを恐れたロールスロイスで、彼らはブリティッシュ・エクイタブル・セントラル・トラスト(英国公正中央信託)の名を借りてベントレーを買収。同社の一ブランドとしたのである。

 実は、当時のベントレーとロールスロイスが作る製品はキャラクターがまるで異なっていて、大きくて重い頑丈なボディを強力なエンジンで走らせるベントレーに対して、ロールスロイスはより小さなボディを静かで滑らかなエンジンにより粛々と走らせることを得意としていた。そうした違いがありながらも、ロールスロイスは買収後もベントレーの個性を尊重。自分たちが作る豪華で静かな高級車に、スポーティなスパイスを振りかけたモデルをベントレーの名で販売し続けたのである。

 ベントレーが再びロールスロイスから独立したのは1998年のことで、フォルクスワーゲン・グループがロールスロイスからベントレーにまつわる権利を買収。やがてロールスロイスはBMW傘下に収まり、およそ70年の歳月を経て両社は再び別々の道を歩むことになった。

フライングスパー・スピード

 前置きがいささか長くなったが、ここで紹介するベントレー・フライングスパー・スピードは、ある意味でロールスロイスに買収される前の、古き佳き時代のベントレーを現代に再現したモデルといえる。

 その全長×全幅×全高は5,325×1,990×1,490mmと堂々としたもので、ここにロールスロイス時代に培った豪華なインテリアを架装した結果、車重は2,530kgにも達する。しかし、排気量6.0リッターのW12エンジンが生み出す635psのパワーと900Nmのトルクは、これを補って余りあるため、0-100km/h加速は3.8秒、そして最高速度は333km/hと驚異的な速さを誇る。

 鮮烈なレッドのボディカラーと、重厚感溢れるブラックのインテリアカラーが組み合わされたフライングスパー・スピードのステアリングを握り、都内の一般道を進む。

 スピードというのはベントレーの高性能モデルに与えられる特別な名前で、その源流を遡れば、ロールスロイスに買収される以前の1929年に発売されたスピード・シックスに辿り着くが、ハイパフォーマンスだからといって乗り心地が不快に思えるほど足回りを固めたりしないのは、いかにもベントレーらしいところ。

 ただし、333km/hでも十分な安定性をもたらす必要から、サスペンションのセッティングは適度に引き締まったもので、手応えがしっかりとしたステアリングからはタイヤが路面を捉えている様子が克明に伝わってくる。この、快適性とスポーティさを絶妙にバランスさせたキャラクターこそ、ベントレー固有のものといって間違いない。

 3気筒エンジンをW型に4列並べたようなレイアウトのW12エンジンは、街を流す範囲でいえば完全な黒子に徹し、その存在感を明確に見いだすのは難しい。それでも、W12エンジンの鼓動は、まるでバロック音楽の通奏低音のように、人知れずドライバーの魂を刺激し続ける。静かで快適なのに、ゆっくり走っているだけでも決して飽きることがないのは、前述したステアリングフィールと、このW12エンジンが紡ぎ出すビート感のおかげだろう。

 それでもいざとなればW12を積むフライングスパーが轟然とした加速を示すことは、これまでに何度も経験したことがある。とりわけ近年のW12エンジンはレスポンスが改良され、微妙なスロットルワークにも繊細に寄り添うにパワーを生み出してくれるようになった。おかげでワインディングロードを走ったときの爽快感は格別だが、東京の中心部で同じような走り方をすることは許されない。私は、仕立てのいいブレザーで分厚い筋肉を隠したラグビー選手のごとく、礼儀正しく都心の一般道をひとまわりすると、試乗会の基点であるザ・キャピタルホテル東急で試乗車を返却した。

 ホテルに設けられた控え室で寛いでいると、たったいま終えたドライビングの刺激が、心の深い部分に留まっていることを感じ取った。それはスポーツカーの痺れるような快感とも、ただ豪華なだけのラグジュアリーカーがもたらす空虚な後味とも異なる、ある種の達成感にも似た、心地いい余韻だった。

 ご多分に漏れず、ベントレーも2030年までに全モデルをBEV(いわゆるフルEV)とすることを目標として掲げている。したがって、このW12モデルを新車で手に入れられるのも、最大であと7年ということになる。もちろん「まだ7年もある」と受けとめることも可能だが、いずれにしても、今年で104年目を迎えたベントレーの歴史に比べれば、瞬きにも似た刹那といえるのではないか。