大谷 達也:自動車ライター
高性能ブレーキの代名詞 ブレンボ
イタリアのブレーキメーカー“ブレンボ”の名前は、きっとみなさんもご存知だろう。
1961年にベルガモ郊外で創業したブレンボは、1964年にイタリアで初となるブレーキ・ディスクの生産に着手。それ以来、量産車やモータースポーツの世界で活躍を続けてきた「高性能ブレーキの代名詞」というべきブランドである。
とりわけF1ではフェラーリを始めとする数多くのチームと提携。近年では全10チームにブレーキキャリパーを供給するほど絶対的な信頼を勝ち得ている。
それは量産車の世界でも同様で、ハイパフォーマンスモデルのブレーキシステムとして幅広く採用されていることは衆知のとおりだ。
そんな、スポーツイメージと切っても切れない関係にあるブレンボが、まったく新しいブレーキシステムの分野に進出しようとしている。
それがセンシファイだ。
ブレーキペダルとブレーキを切り離す
シンプルに説明すれば、センシファイはドライブ・バイ・ワイアの技術を用いたブレーキシステムである(これをブレーキ・バイ・ワイアと呼ぶこともある)。
航空産業などで有名なドライブ・バイ・ワイアは、パイロットもしくはドライバーが触れる操作系と、それによって制御される装置が機械的に連結されてなく、電気信号のやりとりでコントロールされるシステムを指す。
クルマのブレーキでいえば、ドライバーがブレーキペダルを操作し、その動きに応じてブレーキキャリパー内のパッドがブレーキディスクを挟み込んで制動力を発生させるところまでは従来と変わらないが、ブレーキペダルとブレーキキャリパーを油圧回路で結ぶのではなく、電気信号のやりとりで制動力を制御する点に最大の違いがある。
もう少し具体的に説明すると、ブレーキ・バイ・ワイアのブレーキペダルにはペダルの踏み込み量を検出するセンサー、それにブレーキペダルの反力(ペダルがドライバーの足を押し返そうとする力のこと)を生み出す装置が組み合わされるいっぽう、キャリパーの近くには受信した電気信号を油圧に変換する電動ポンプを配置。ペダルの踏み込み量に応じて電動ポンプが油圧を生み出し、これによってブレーキパッドでブレーキディスクを挟み込んで制動力を生み出す仕組みだ。
また、従来のブレーキシステムでは、ブレーキペダルの踏み込み力を軽くするために真空倍力装置などを用いていたが、センシファイのようなブレーキ・バイ・ワイアでは電動ポンプが油圧を生み出すので、機械の力で油圧を高める真空倍力装置は不要となる。さらにいえば、ペダル反力はスプリングなどによって自由に調整することもできる。
ブレーキ・バイ・ワイアには数多くのメリットがあるが、なかでもわかりやすいのが、ABSやスタビリティ・コントロールなどの電子制御をより精度よく行える点にある。
ご存知のとおり、ABSはブレーキング時に起きるタイヤのロック防止、スタビリティ・コントロールはスピンしそうになったクルマの姿勢を立て直すための電子制御システムだが、これらはいずれも4輪のブレーキ油圧を個別に制御することでタイヤのロックや姿勢の乱れを防いでいる。
ただし、これまでブレーキ油圧を制御するのに用いられてきた電磁バルブは、一般的に油圧を段階的にしか制御できないほか、電磁バルブがブレーキキャリパーから離れた位置に設けられているケースでは制御遅れが発生するなどの問題点が指摘されていた。
しかし、ドライブ・バイ・ワイヤ技術を用いたセンシファイであれば、ブレーキキャリパーのすぐ近くに油圧ポンプを配置できるために制御遅れが起こりにくいほか、サーボモーターで駆動される油圧ポンプは電磁バルブよりはるかに緻密に、そして素早い制御が可能なため、ABSやスタビリティ・コントロールを正確に作動できるというメリットがある。
また、近年のハイパフォーマンスカーのなかには、4輪のブレーキを個々に制御してコーナリング時の姿勢を積極的に作り出すトルクベクタリングを装備しているケースもあるが、こちらも原理的にはスタビリティ・コントロールと同じため、センシファイを使えば、いままで以上にきめ細やかな制御を実現できる可能性が生まれる。
いっぽうで、ブレーキペダルとキャリパーの間に複雑な電子制御システムや油圧ポンプなどが介在することで、ブレーキの動作が遅れたり、思いどおりにコントロールできなくなるケースを心配される向きもあるだろう。
しかし、ブレーキペダルとキャリパーを油圧回路でつなぐよりも、センシファイのように電気回路でつないだほうが伝達速度ははるかに速くなるので、制御遅れに対する心配は無用。コントロール性に関しても、ブレーキャリパーやブレーキディスクといったメカニズムがしっかりできていれば、あとは電子制御を行なうソフトウェア次第でいかようにもセッティングできるので、コントロール性はむしろ改善できる可能性が高い。
そうした効果を、今回は試作車への試乗を通じて体感する機会に恵まれた。
テスラ モデル3で従来と未来を比較
私がテストコースで試乗したのは、量産モデルのテスラ・モデル3と、これにセンシファイを搭載した試作車の2台。なお、モデル3にはブレンボ製のハイパフォーマンスブレーキがオプションで用意されているらしく、試作車も量産モデルもこれを装備していた。いいかえれば、ブレーキキャリパー、ブレーキパッド、ブレーキディスクなどは共通。そして、これらをコントロールする制御系のみセンシファイとしたものと、従来からの油圧式の2タイプを比較したと理解していただければいいだろう。
試乗してみると、ドライコンディションならびにウェットコンディションのパニックブレーキ、ウェットコンディションでのダブルレーンチェンジ、左右で路面の摩擦係数が異なっているスプリットブレーキのいずれでも、センシファイのほうが制動距離は短く、また制動時の方向安定性が優れていて、フィーリング的にも安心感が強いことがわかった。
こうした違いは、センシファイがもともと持っている制御性の高さにくわえ、センシファイに搭載されたソフトウェアの完成度が高いために実現できたと考えられる。
今回の試作車はブレンボが用意したもので、センシファイの制御ソフトもブレンボ自身が開発したものを用いていた。ただし、もしも自動車メーカーが開発したソフトウェアを搭載すれば、自動車メーカーもしくは製品の個性にあわせてブレーキの特性を調整することも可能になるはずだ。
さらにいえば、センシファイのようなシステムは、新型メルセデスEクラスの記事で紹介した「ソフトウェア・デファインドカー」でより大きな効果を発揮する。なぜなら、制御性が高いセンシファイであれば、ソフトウェアの進化がより明確に反映されるからである。
では、なぜこれまでセンシファイのようなブレーキシステムが誕生しなかったのか?
実は、2000年代以降、ブレーキ・バイ・ワイアを採用する量産モデルは次々と登場していたが、なかにはトラブルが多発したため、早々に姿を消したというケースもあった。
しかし、現在では周辺技術の進化により信頼性が高まり、ブレーキ・バイ・ワイアのポテンシャルを余さず発揮できるようになったことが、センシファイの誕生につながったと考えられる。さらにいえば、前述したABS、スタビリティ・コントロール、トルクベクタリングといった電子制御システムの普及も関係していたことだろう。
いずれにせよ、どんなに優れた電子制御システムであっても、それによって実際に動作するハードウェアの完成度が低ければ、制御性の高さを存分に生かすことはできない。この点、高性能ブレーキ作りに定評のあるブレンボであれば心配は無用。今回の試乗で特に印象的だったのはブレーキペダルのフィーリングで、従来型の油圧式以上にしっかりした剛性感とコントロール性を実現していたことには大いに驚かされた。
また、センシファイはブレーキキャリパーと油圧ポンプを別体で設けたタイプのほか、コンパクトな電磁ソレノイドでパッドを直接動かすコンパクトタイプもラインナップ。ファミリーカーからスーパースポーツカーまで搭載が可能という。
それにしても、これほど先進的なブレーキシステムが、長い伝統を誇るブレンボから登場したことが実に興味深い。この事実は「ブレーキの進化は今後も自分たちが担っていく」という、ブレンボの強い決意表明と捉えることもできるだろう。