文=福留亮司

隈研吾さん設計の「グランドセイコースタジオ雫石」

2017年に独立ブランド化されたグランドセイコーは、この6年という短い期間に次々と新しい仕掛けを行っている。それは自然を模したダイヤルだったり、セイコースタイルをベースとした「エボリューション9」という新しいデザインコードを生み出したりと印象に残るものばかりだ。グランドセイコーのブランド化以前と以後ではどう変わったのか? グランドセイコーの現在について、広報・PR室長の平岡孝悦さんに話をうかがった。

自然との関わりをより前面に

 グランドセイコー(GS)は2019年からブランド哲学「The Nature of Time」を訴求している。自然との共生や自然からインスピレーションを得る、など、この数年の自然との関わりをより前面に押し出していくということである。

「もともと盛岡にセイコーの工場を造るときに、周りの方々に迷惑をかけずにやっていきましょう、というのがあったのです。工場の近辺は林など自然が豊かな土地でしたから、それをそのまま残し、共存していこうということでした。林と林を繋ぎ、カモシカなどの動物が行き来できるように、できるだけ手をつけずに残す。SEDsではないですが、もう何十年も前から自然との共生を意識して取り組んでいるのです」

「グランドセイコースタジオ雫石」から見ることができる岩手山

 GSの職人さんたちは、言うまでもなく自然環境の中で、自然と調和しながら時計製造を行なっている。グランドセイコースタジオ雫石では、スタジオの中でもあえて自然を意識できるように、作業する場所の右側だけ全面窓ガラス貼りになっており、そちらを向くと、晴れた日には岩手山がよく見えるという。冬には雪が積もった岩手山が、暖かい季節になると周辺の新緑と調和した、また別の岩手山が無意識のうちに目に入ってくる。つまり、自然と四季、という日本、さらには盛岡らしい風景の中からGSの時計は生まれているのである。

「GSに携わる匠を含め工場で働く人たちも、自分たちが自然に恵まれた良い環境で仕事をしているということをすごく大切にしていますし、誇りに思っていると思います。僕らもそのように生き生きと働いている方々の姿を見るのは嬉しいものです。そして、それらを見ていただける環境も揃ってきたので、みなさまには是非、雫石のスタジオを見ていただきたいな、と考えております」

お話をうかがった平岡広報・PR室長(右)と広報の余合夏実さん

時計もまた自然と調和

 自然と時計。それは製造環境だけではなく、時計そのものにも表現されている。平岡部長が言いたいのは、この環境から生まれてくる時計もまた自然と調和したものなので、製作環境とともに時計を見てもらえれば、その流れがよくわかるということなのだろう。

「以前は厚銀放射と呼ばれる、金属光沢が放射状に輝くやわらかな銀色のダイヤルがGSらしいと言われていたのです。それが2017年のGS独立ブランド化以降、大きく変化しています。桜に見立てたピンク系のダイヤルとか、白樺林をダイヤルに表現したものなど、自然を意識した模様、カラーが主流になっています」

ダイヤルは星が煌めく夜の岩手山を模したもの。星の光に照らされた山肌を透明感のあるブルーで表現している

 もちろん「最高峰の腕時計をつくる」という60数年前に掲げた目標に変わりはない。正確さ、美しさ、見やすさといった、腕時計の本質を追求する、というのは大前提である、ということだ。

「実用時計の面を私たちは捨てているわけではないのですが、17年の独立ブランド化に伴って、それ以上に、日本文化とか日本の美意識に根ざしたもので打って出たいということです。わかりやすく言いますと、この日本独自の感性価値を海外にも伝えていきたい、ということです」

 それは、かつては小津安二郎や黒澤明が、現代では是枝裕和が、日本を描くことで世界で認められたように、GSも日本の美や自然を腕時計に反映させることで世界中の人々にGSを知ってもらおうということである。独立ブランド化され、はや6年を迎えようとしている今日、その結果はどうなったのだろうか。

「いまはとくにアメリカで、若々しいブランドであると、認識され、伝わりはじめました。それはGSの個性を明確に示すことによって、若い世代に、独自の価値を目指す革新的なブランドいう捉え方をされ、購入につながっているのだと思っています。そのような捉え方は、独立ブランド化以前は少なかったと思います」

使い方が自由で面白い

 当然ながらアメリカでは「いつかはGS!」的な、最終目標の時計という認識はまったくない。だから使い方も自由で面白いという。

「お客様がインスタグラムにあげるときは、メタルバンドをレザーに替えるなど自分のファッションに合わせて着用し、掲載される方が多いようです。使い方も発信の仕方も随分と変わったんだな、というのが実感としてありますね」

 もはやアメリカでは、昔のGSを知る人にはついていけないほどの変化を見せはじめているようだ。それはかなり大きな反響で、ひとつの文化をつくりはじめている、といっても過言ではないだろう。それがいま、日本にフィードバックされ、欧州にも徐々に影響を及ぼしはじめているという。

「GSには『GS9 Club』というオーナーズクラブがあるのですが、オーナーさまが日本でのイベントにいらした際、そこでもスーツではなくて、わりとカジュアルな、自分なりのオシャレをしてGSを着けてくる方が結構いらっしゃいます。昔のGSを知ってる方はちょっとビックリするだろうな、という感じです。GSの捉えられ方が幅広くなっているようです。いまも変わらず誠実な時計をつくってますし、そういう方々に評価されているのも事実ですが、それだけではないユーザーの広がりを感じています」

新しいメッセージはエボリューション9に込められている

 とはいえ、GS自体に変わりはない。あくまでも『44GS』の土台となったデザインコード「セイコースタイル」がベースなのだ。受け継がれて来た歴史の上に新しい趣向が凝らされ、その中で生まれたのが「エボリューション9スタイル」。日本人独自の感性をデザインに反映させるために、以前から多用していた光と陰のコントラストとともに、その中間に存在する多様なグラデーションの美しさを追求する、というデザイン文法である。

ジュネーブで開催されたウォッチ&ワンダーズで見せてもらった2023年の新作『エボリューション9 コレクション テンタグラフ SLGC001』自動巻き(Cal.9SC5)、ブライトチタンケース、43.2㎜ケース、181万5000円。10振動/秒、クロノグラフ作動状態で約3日間のパワーリザーブを備えるクロノグラフモデルだ

「エボリューション9が私たちの新たなメッセージなのです。セイコースタイルから生まれた『44GS』。そこからさらに、自分たちの腕時計の理想を追求して正当進化したコレクションを代表するモデルが白樺林の表情をダイヤルに表現したエボリューション9のSLGH005です。そのコレクションをスポーツウオッチとして判読性や操作性を追求し、さらにムーブメントの計測機能を進化させたものが今年発表したGS初の機械式クロノグラフモデルになったのです。今までのデザインのスタイルを活かしながら進化させるという考え方ですね。これから私たちは“エボリューション9”というコレクションを柱にしていきたいと考えています。これも長い時間をかけて築いていきます」

 盛岡セイコー工業が造られた時から常に念頭にあった自然との調和が、60余年の歳月を経て、GSそのものにわかりやすく反映されるようになった。それは「エボリューション9スタイル」と技術の進化という両輪の進化によって、これからも深度を増していくことだろう。今後のGSモデルについては、この2点により注目したいと思う。