「中途半端は嫌だ」

2人によって、アイスダンスの認知度は飛躍的に高まった。世界選手権ではリズムダンス、フリーダンスともにかつてないほど客席が早くから埋まったのは象徴的だ。
それもまた2人の功績だが、アイスダンスを伝える、という意味はそれだけにとどまらない。高橋は言う。
「アイスダンスに関してはやればやるほど2人の息も合っていきますし、パフォーマンス力も上がってくると思うし、やっぱりお互い同じ方向性を向いていないと物事を進めていくのはなかなか難しい、続けることも難しくなります」
さまざまな取材の場において2人が互いに見せたのは信頼であり敬意であり、心遣いであった。先の村元の言葉にも含まれるように、目指すところが合致していることが根本にあり、その上で互いの人間性もそこにうかがえる。だから築けた作品の数々があり、そしてアイスダンス(に限らないが)において、何が大切なのかを後進に示してもいる。
数々の功績を残した2人は現役生活にピリオドを打った。それは同時に、シングル時代から長年にわたり、第一線に立ち続けた高橋の競技生活に終止符が打たれたことを意味している。
シングル、アイスダンスを通じてその足取りを支えたのは何だったか。
小学2年生から高橋を指導した佐々木美行コーチの言葉を思い出す。
「始めてから2年くらいは、特に上手な生徒というわけではありませんでした。ほかの子たちとかわるところもなかったです」
むしろジャンプの習得が早く、目についた子どもがほかにいたと言う。ただ1点、高橋が抜きん出ていたことがあった。
「大輔君は滑ることはほんとうに好きでしたね。私より長くリンクにいた数少ない1人じゃないかと思います。私たちのクラブのリンクにさよならしたあとも、当時、オールナイトの屋外リンクがありまして、そこで深夜までジャンプの練習をしたりしていました。それくらい好きでしたね」
もう1つ、佐々木コーチの、強く記憶している言葉がある。
「『中途半端は嫌だ』。それこそ高橋大輔の、子どもの頃から大人になっても、一貫したスタイルだと思います」
高橋大輔を高橋大輔たらしめた要因が佐々木コーチのこれらの言葉にはある。右膝に苦しみつつ、それでもあれだけのプログラムを村元とともに生み出し、体現してみせたのも、滑るのが好きで、「中途半端は嫌だ」を貫いたからにほかならない。
「これから生きていく上で、何があっても大丈夫かな、みたいな感じの気持ちになれたかなと思っているので、自分自身として自分をほめてあげたいです」(高橋)
競技生活に区切りはついても表現者としての歩みは続いていく。村元とともに演じていくこと、また個人としても活動していくと語っている。
その土台、あるいは足がかりは築いている。他の芸術分野と融合した2度の公演『氷艶』もその1つだろう。
会見の最後に高橋は語っている。
「これから新しい世界に行きますけど、またびっくりさせられるようなことができればいいなと思っているので、何が起こるか分からないんですけど、ジェットコースターってけっこう言われるんですけど、ジェットコースター、まだまだ乗っていけたらうれしいなと思っております」
その先にどのような表現を見出すのか。これからも、新たな表現へと進んでいく足が止まることはない。