企業支援の現場から

 品質コンプライアンス問題が取り沙汰され始めてから、多くの時間が経過した。品質情報は、ネガティブな情報として取り扱われることが多いことから、なんとかポジティブ情報の取り扱いへと変革したいと考えていたが、一気にネガティブ情報の世界へ引き戻されてしまった。

 品質に関する経営支援をなりわいとしている筆者として、信頼回復へ向けたご支援が現在の中心的な仕事になっていることを、決して喜ばしいこととは思えない。そうした企業支援の現場から、品質保証の本質について考えてみたいと思う。

品質保証の本質とは

 品質保証の本質は「品質情報の取り扱いの完全性」を組織として成し遂げることだと思う。正しい品質情報を選定し、正しい伝達・変換を行い、それらを企業の製品へ転写する。スピーディーに、かつ低コストで顧客へ「品質」を提供し、社会に貢献するべく「完全性」を目指したマネジメントを行うことが品質保証活動であると考える。

 しかし、各企業では、築いてきた「品質管理基準」を絶対視し、「顧客および社会に提供している自社の製品が高品質でさえあれば、品質保証ができている」と考えているのではないだろうか。もちろん、企業の提供する製品品質が、顧客と社会の期待する水準以上であることは必要であるが、それだけでは品質保証をしているとは言えない現実がある。

 こうしたことを、「品質不祥事問題」はクローズアップして気付かせてくれているのだろう。

顧客視点の変化

 顧客が持つ<品質を評価する目>は、企業側が考えるよりはるかに高く、情報を広く捉えている。そしてその眼力は、時間と共により成長し、熟成している。顧客の考える品質と、企業が考える品質とにはギャップがあり、そのギャップがある程度の大きさを超えると「クレーム」が発生する。また、顧客が企業の将来に向けて期待をもつと「要望事項」が寄せられる。

 企業が提供する製品・サービスの品質が高いことはもはや当たり前であり、付帯する検査成績書やプロセス管理、カタログに表示された内容や数値、営業担当者の説明内容などの信頼性が高いのも同様に当たり前である。さらに顧客は、サポートサービスやアフターサービスの質の良さも当たり前に評価している。使われている素材や原料についても、顧客は「当然、企業側が十分に考えて、提供しているはずである」と考えている。

 しかし、この「当たり前」である品質情報は明文化されていないことが多い。顧客も企業もお互いに、「理解できているはずだ」と思い込んでいるだけになっていないだろうか。企業側はこうした明文化されていない品質情報を明確にして品質保証の対象とすべきなのであるが、どこまでその重要性を意識して「品質保証」をしてきただろうか。

 また、市場は従来市場であるとは限らない。特にグローバル市場に拡大をしている状況下では、市場そのものが広くなっているため、文化や常識が異なる顧客に対して製品またはサービスを提供することになる。当然、明文化されていない品質情報はより多く、多岐に亘っているはずである。

 共通するのは、国内、海外に限らず、顧客は「広く、高い目」で企業の提供する製品またはサービスを認識しているという点である。特に海外の顧客は「かつてジャパンアズナンバーワンと言われた日本製品なのだから信頼性が高くて当たり前」と思っているはずだ。