文=鷹橋 忍
頼朝とは駆け落ち婚だった?
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に登場する女性たちはみな魅力的であるが、なかでも個性がひときわ輝いているのは、小池栄子演じる北条政子だろう。
政子は保元2年(1157)、伊豆国田方郡北条(静岡県伊豆の国市)で生れた。弟の北条義時より6歳年上、源頼朝よりは10歳年下である。
真名本『曾我物語』によれば、頼朝が政子の元に通い始めたのは、安元2年(1176)の3月頃だという。数え年で政子20歳、頼朝30歳のときのことである。
この頃、政子の父・北条時政は、大番役のため在京中であった。頼朝は最初の妻・八重姫とも、八重姫の父・伊東祐親が在京中に恋仲となっている。
伊東祐親は平家の目を恐れ、八重姫を頼朝から引き離して江間氏に嫁がせたとされるが、時政も、祐親と同じような行動をとった。
『源平闘諍録』によれば、政子と頼朝との関係を知った時政は、伊豆国の目代(もくだい)の山木兼隆(やまきかねたか)との縁談をまとめ、政子を無理やり山木邸に送っている。
だが、政子は父親に背いた。山木邸を抜けだして伊豆山神社へと向かい、頼朝と落ち合ったのだ。駆け落ちである。
伊豆山神社は数多くの大衆(僧兵)を抱える霊場であり、庇護下に入った者にはうかつに手出しができない。時政は政子の奪還を諦め、二人の仲を黙認したという。
この駆け落ちの逸話は、信憑性が定かでない。だが、鎌倉幕府の事跡を記した史書『吾妻鏡』にも、文治2年(1186)4月8日条に「平家を恐れる時政に幽閉されたが、暗夜に道に迷いつつ、深い雨に濡れながら、頼朝のもとへ走った」と政子が語るシーンがあり、政子が時政の反対を押し切って頼朝と結婚したのは、事実とみられている。
政子は自らの意志で、頼朝を選んだのだ。