文=今尾直樹
自動車レース映画の金字塔
スティーブ・マックィーンの『栄光のル・マン』はとんでもない傑作だった。今回、久しぶりにDVDで観て、こんなに面白かったんだ!? とたまげた。ご覧になった方も多いことでしょう。1970年のル・マン24時間耐久レースに、重たいカメラを搭載したポルシェ908を実際に走らせるなど、リアリティにこだわりまくった自動車レース映画のこの金字塔を。
公開は1971年。日本ではその年の洋画配給収入第3位というヒット作になった。ちなみに1位は『ある愛の詩』、2位は『エルビス・オン・ステージ』だった。アメリカでは評価が二分し、大ゴケした。登場人物のセリフは極端に少なく、ミッシェル・ルグランのメロウな音楽はチラリと流れるだけ。ストーリーはあってなきが如しのドキュメンタリー・タッチで、観客の感情を揺さぶるのはフェラーリ512Sの5リッターV12とポルシェ917の4.5、もしくは4.9リッター空冷180°V12のエンジン・サウンド。音質は同じ12気筒だから似ている。フェラーリの水冷V12がちょっと高音で、ポルシェのほうがなんとなく空冷っぽい、乾いた低音を発している。ふおおおおおおおん、ふおおおおおおん、というサウンドを聴いていると、自分がル・マンにいて、ポルシェかフェラーリをドライブしている気分にさえなる。
これこそがマックィーンの狙いだった。「映画館の観客をレーシング・カーに乗せようとした」のだ。
“キング・オブ・クール”のマックィーンは俳優であると同時にレーシング・ドライバーでもあった。1970年3月、フロリダで開催されるセブリング12時間レースに、ピーター・レブソンとコンビを組み、ポルシェ908で出場して2位に入るほどの腕前だった。ル・マンの前哨戦でもあるこの耐久レースには一流のドライバーと最新のマシンが参戦していたのだ。しかも、このときマックィーンは1週間前のオフロード・バイクのレースで左脚を骨折、クラッチ操作しにくい状態だった……。
リアル・プロフェッショナル・レーサー
セブリングの後、マックィーンは「俳優にレースは無理だ」という世評を覆し、スーパースターであるだけでなく、リアル・プロフェッショナル・レーサーとして尊敬を集めた。次の目標は、ル・マンに出場することだった。
このエピソードは、『栄光のル・マン』製作時の裏話を描いたドキュメタンリー映画『スティーブ・マックィーン その男とル・マン』で語られている。2016年日本公開の、といっても筆者が観たのはつい最近ですけれど、この映画によると、『栄光のル・マン』は、主演がマックィーンで、監督が『荒野の七人』『大脱走』のジョン・スタージェス、ということで年間1位の大ヒット間違いなし、と考えられていた。予算は破格の600万ドル。ジャッキー・イクス、デレック・ベルら、現役のドライバーが45人も撮影に参加し、スターも監督も、優秀な撮影クルーも、すべてそろっていた。脚本だけがなかった。脚本が決まらないまま撮影に入るのは『大脱走』のときと同じで、巨匠スタージェスには自信があった。大迫力のレース・シーンに人間ドラマが加われば、完璧な作品になる、と。
カー・レースの映画をつくるのはマックィーンの夢だった。1960年代半ば、スタージェスを監督に起用し、『デイ・オブ・ザ・チャンピオン』というF1を題材にした映画を企画していた。ところが、ジョン・フランケンハイマーの『グラン・プリ』に先を越され、中止とされた。『グラン・プリ』の主演俳優のジェームズ・ガーナーとは親友で、同じマンションに住んでいた。上の階のマックィーンは、夜になると下の階のガーナー邸の花壇に向かって小便をしていた。「俺の企画を奪った仕返しだ!」といいながら。