『グラン・プリ』よりも高次元

 1969年2月に作成された『栄光のル・マン』の企画書には、次のように書かれている。

「『栄光のル・マン』は『グラン・プリ』より、もっと高次元だ。そうでなければ、つくる意味がない」

 マックィーンのル・マン出場は、結局、保険会社が認めず、実現しなかった。もしも事故に見舞われたりしたら映画がおじゃんになる。マックィーンは映画を選んだ。

 1970年6月15日、ル・マン終了後に撮影を開始し、レースが390km/hで走るのなら、と同じスピードで走ってカメラを回した。カメラ・カーにはドアを外したポルシェ917が使われた。ストーリーをつくるべく、脚本家が何人も現地に呼ばれた。ハリウッド定番のラブ・ストーリーに、マックィーンは首を縦に振らなかった。

 撮影開始から6週間たった7月16日、脚本のないまま、ポルシェ917とフェラーリ512Sのデッド・ヒートを撮影中、デイビッド・パイパー駆る917がクラッシュ。350km/hで指示通りにレーシング・カーをドライブするのはあまりに危険だった。この時点で、予算は150万ドルもオーバーしていた。しかも完成の目処はまったく立っていない。ここにいたって製作の主導権は、マックィーンの製作会社のソーラー・プロダクションから離れ、スタージェスは監督を降板する。

役者として成功し、自分のやり方を貫き通すために製作に乗り出したマックィーンの夢は、レース映画をつくることだった。「マシンと自分がひとつになる感覚は最高だ」と、『その男とル・マン』のなかで語っている。レース中は、虚像のスターではなく、自分だけの力でコントロールしているという実感が得られた。「モータースポーツは世界一強烈なドラッグだ」とは息子のチャド・マックィーンのことば(写真:mptvimages/アフロ)

 新たに起用された無名の監督リー・H・カッツィンのもと、完成したのは予定の3カ月遅れの11月。樹木の葉は茶色くなっていて、青く塗らなければならなかった。『栄光のル・マン』は、マックィーンにとって妥協の産物でしかなく、プレミアにも参加しなかった。

 

ほとんどがレース場面

 映画のなかで、マックィーン演じるレーシング・ドライバー、マイケル・ディレイニーと、エルガ・アンデルセン演じるリサとの会話は、マックィーンの思いに限りなく近いものだったろう。リサは前年のル・マンで、フェラーリに乗る夫を、ディレイニーのポルシェとの事故で亡くしていた。そして今回は、恋人のフェラーリ・ドライバーがクラッシュし、重傷を負う。

『栄光のル・マン』の一場面。ヘルガ・アンデルセン演じるリサの後ろにフェラーリの市販モデル、365GT2+2がチラリと見える。物語の冒頭に出てくるマックィーンの黒いポルシェ911や、シトロエンDS、2CVなど、当時現役だったクルマがしばしば画面に映る。当時のル・マンが丸ごと保存されている。それも、この映画の魅力のひとつだ(写真:Mary Evans Picture Library/アフロ)

ディレイニー「(自動車レースは)プロフェッショナルな、血にまみれたスポーツだ。(事故は)いつでも起きる。それも何度でも起きる」

リサ「命をかけるのなら、ほかにもっと大切なことが……。ひとより速くドライビングしたとして、それがなんだというの?」

ディレイニー「レースはライフだ。走っている前や後は、待っているだけさ」

 本編109分のうちのほとんどがレース場面である。いわば、全編これセックス・シーンのポルノ映画。それもドキュメンタリー・タッチの! 好きなひとと、そうでないひとが分かれるのもむべなるかな。

 実際の1970年のル・マンが雨模様だったこともあって、画面はいつも濡れている。ル・マンは、夏至にもっとも近い土曜日の夕方4時に始まり、翌日の日曜日の夕方4時に終わる。夜がきて、朝がくる。魔物が棲むのは夜。事故が起きるのは朝方。霧のなか、ライフの反対語のデスの気配が漂う。エロスとタナトス。

「説明するより映画で見せようと思ったんだ。レースに出る理由を。素晴らしい開放感と高揚感を」

 というのは、『その男とル・マン』に出てくるマックィーン自身のことばだ。レースにとりつかれたキング・オブ・クールが残した、これぞル・マン、これぞモーター・スポーツ! 

 ぜひ、ポルシェ917、もしくはフェラーリ512Sをドライブするぞ、と気合いを入れて、ご覧ください。