世界はもちろん、特に日本で愛されている印象のある画家・ゴッホ。今も「 ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」が東京都美術館で12月12日(日)まで、その後も福岡、名古屋と巡回する。なぜゴッホの絵は日本人の心に響くのか、今改めて検証する。

文=鈴木文彦

なぜ、こんなにも愛されるのか?

 芸術というのは、結局、好きならばそれでいいのであって、好きに理由はいらないといえばそのとおりなのだけれど、ゴッホは日本に愛されている。

 有名な『ひまわり』は、存在が確認されている7枚のうち、1枚は日本の実業家、山本顧彌太が1920年に手に入れている。『芦屋のひまわり』と呼ばれるこの作品は、第二次世界大戦時の空襲で焼失していることでも有名だ。そして現在、新宿のSOMPO美術館に、別の1枚があることも、多くの人が知るところだろう。

1987年3月30日、安田火災海上保険(現:損保ジャパン日本興亜)がゴッホの名画「ひまわり」を58億円で落札。写真=Gamma Rapho/アフロ

 日本のゴッホ展は、アムステルダムのゴッホ美術館とならんで最大級のゴッホコレクションを誇る、クレラー・ミュラー美術館所蔵作による大規模展が、1958年に開催されたのが最初。以降は、18年、9年と、それなり間が空いて開催されていたけれど、上記の損害保険ジャパンがひまわりを落札した1987年、その前年、と連続してゴッホ展があり、その後は空いたとしても5年程度、2016年以降はほぼ毎年、日本のどこかでゴッホ展が企画されているような状況が続いている。大規模展ともなると、動員数も40万人を上回るとされる。

 さらに、早くは1910年代の白樺派によって、ゴッホは作品のみならず、その生涯も紹介され、ゴッホからインスピレーションを受けた武者小路実篤、柳宗悦などが、ゴッホ神話を形作っていった。その後も言及されることが非常に多い画家で、最近でも人気作家、原田マハの『たゆたえども沈ます』という小説が、ゴッホ、そしてゴッホを支えた弟、テオを描いている。

 そんなわけだから、ゴッホは日本ではメジャーもメジャー。生前は、ほとんど作品が売れなかったにも関わらずこの人気、というのも、多くの人の知る逸話だろう。だから筆者がここで何を言おうと「もう知っている」という方がたくさんいることは覚悟の上で、今回はゴッホが愛される理由を、ゴッホの技術から考えたい。

 

ゴッホの技術:補色

 というのは、世界をリードするシャンパーニュ『モエ・エ・シャンドン』の最高醸造責任者であるブノワ・ゴエズ氏にあるとき、好きなアーティストはいますか? と質問したことがあるのだけれど、彼はゴッホ、と答えて、その理由を話してくれた。その評価に筆者は賛同するからだ。

 ゴエズ氏はこんなことを言っていた

「ゴッホの作品を支えている、高い技術を忘れてはならない。シンプルで見るものを魅了する作品。それはゴッホの絶え間ない修練の賜物でもある。シャンパーニュもまた、ひとつの作品に至るまでには、何百何千という試行錯誤がある。私が求めるシンプリシティはかなう限りの複雑の先にある」

 もちろん、ゴッホの作品は感動的だ。見るものの心に訴えかけてくる。たとえゴッホのドラマチックな人生を、彼の奇妙な人格を知らなくとも、魂を揺さぶられる衝撃が、彼の作品にはあると筆者はおもう。しかし、ゴッホは、それをいきあたりばったりに、あるいは才能のみをたよりに生み出したわけではないはずだ。

 というわけでゴッホの技術として、まず注目してもらいたいのが、補色だ。