レザーを通じて社会を変革する、「山口産業」の試み

文・写真=山下英介

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1938年に創業した老舗タンナー「山口産業」の代表取締役、山口明宏さん。大学卒業後いったんは一般企業に就職するものの、その後同社に入社。2015年に父の後を継ぎ、3代目社長に就任する。「ラセッテー」によるなめしを、世界に広げようと奮闘中

野生動物をなめす「MATAGIプロジェクト」

 タンニンなめし「ラセッテー」一本に絞ることで、生産量は半分くらいに減ってしまったというが、これによって「山口産業」はレザーにおけるサステナブルの先端をゆく企業となった。そのひとつが、2008年からはじまった「MATAGIプロジェクト」という試みだ。簡単に言ってしまうと、近年、日本の山間部では鹿やイノシシ、キョンといった野生動物による獣害が深刻な問題となっているのだが、今までは廃棄処分するしかなかったその皮を革に加工して、生命を有効活用するためのプロジェクトである。

 

「プロジェクトの紹介映像で詳しく語られているのですが、ある朝会社の前に、ふたりの男性が立っていて、『こんな状況なので、革をなめしてほしい』とおっしゃるんです(笑)。父からは、そんなのいつ来るかわからないし、商売にならないだろうと反対されたのですが、私は面白いことになるかもしれないから、やってみよう、と。現在では北海道のエゾジカから屋久島のヤクシカまで、日本中の野生動物をなめしてお戻しする、かなり大きなプロジェクトになっています」

こちらは産地から送られてきた鹿の原皮。野生動物の革はサイズや傷の入り方もまちまちで、商品になりづらいため、ほとんど活用されてこなかった

モノ選びの新しい価値観がはじまる

 植物タンニンなめしのシカ革やイノシシ革といえば、昔の英国やフランスブランドではよく使われていた高級レザー。それを植物タンニンでなめしたレザーと聞けば、革好きとしてはがぜん興味をそそられるが、「山口産業」はあくまでタンナーで、バッグや小物をつくるファクトリーではない。もちろんレザーを持ち込む猟師や農家もそれは同様で、結局革をなめしても、〝その先〟に進められないという問題が発生した。

 そこで山口さんは新たに「レザーサーカス」というプロジェクトを設立、ファクトリーやブランドとの橋渡しにまで乗り出してしまった。おそるべきバイタリティと実行力である。

 そんな「MATAGIプロジェクト」でつくられたレザーは、国産スニーカーで有名な〝スピングルムーヴ〟が採用するなど、すこしずつ世の中に浸透しているところだが、その価格は決して安いものではないという。

「MATAGIプロジェクト」に賛同した、〝スピングルムーヴ〟のスニーカー。「ラセッテー」技法でなめしたエゾジカ革は、実に味わい深い風合いだ
 

 「うちのなめし工賃は、大きさに関係なく1枚5000円。猟師さんが一頭の動物から皮を剥ぐ手間賃に、送料や販売管理費なども加わりますから、どう考えても1頭1万〜1万2000円くらいになってしまうわけです。皮を剥ぐにはだいたい30分〜1時間程度かかりますから、ある程度高いものにしないと、猟師さんたちはわざわざ皮を剥いでまで活用しよう、とまでは思えないでしょう? だから産地をまわしていくためには、高くしてあげなきゃダメなんじゃないかな」

「MATAGIプロジェクト」でつくられたボストンバッグ。イノシシの革を使った、野趣が魅力の逸品だ

 戦後はじまった大量生産、大量消費の時代はいまだ終焉の兆しは見えないが、山口さんは近頃、若者たちの意識の変化を肌身で感じとっているという。近年、地方での自給自足生活を実践している俳優の松山ケンイチさんもそのひとりで、知人の猟師さんが狩猟した皮を「山口産業」に持ち込んでなめしてもらい、その革を自ら活用しているのだという。

「松山さんはうちの工場にも来てくれました。若い世代では、こういう環境に優しいものを選ぶのは、もはや普通になっていますよね」

 

環境に優しい革なめしを、世界へ

 そんな地道な活動を通して得た実感をバネにして、山口さんの活動はさらに勢いを増している。環境にも、動物にも、従業員にもやさしい環境でつくられた〝やさしい革〟を世に広める、「一般社団法人やさしい革」の設立。

右から羊、鹿、熊、キョン、そしてなんと鮪のレザー! 経済のしくみに乗るか乗らないかは別として、革なめしの可能性は無限に広がっている

 そして家畜生産が盛んなモンゴルに「ラセッテー」なめし技術を伝え、この地の環境を守ると同時に、優れたレザーブランドを産み出そうという「MONYプロジェクト」の発足など、驚くほどにアグレッシブだ。かといってそれが「山口産業」の儲けにつながわるわけでもない。これらの活動はほぼボランティアで、あくまでこちらの事業は、革なめしひと筋なのである。

 ううむ、レザーオタク的な感覚で取材に来たけれど、すごい人に会ってしまった……! いったいあなたを駆り立てているものは、なんなんですか? 

 「僕たちや動物のストレスがなくなれば、お肉だって革の質だってよくなるし、そのほうが嬉しいじゃないですか」

こちらは山口さんがメーカーと試作したスリッポン。表も裏もすべてピッグスキン製で、きめ細やかなシボ感と軽さが特徴だという。かつては〝グッチ〟などでも使っていたが、現在では靴に使われることは稀になってしまったピッグスキン。改めて見ると、とても魅力的な素材である

 山口さんは笑いながらそう答えてくれたけれど、きっと照れ隠しだ。彼は誰よりもロマンチックに、革を通じて社会を変えられることを、信じている。