文=松原孝臣 写真=積紫乃
より体力が必要な男子フィギュア
今年になり、フィギュアスケート期待の若手、佐藤駿のトレーナーとなった中尾公一。
「だいたい週1回のペースで、トレーニングやケアなどをしています」
そのスタートは、容易ではなかった。今までかかわったことのないフィギュアスケート、しかも研究しようにもフィギュアスケーターのトレーニングに関する文献がない。どのようなトレーニングが必要なのか、手掛かりにしたのは、選手たちの滑っている映像だった。
「あ、滑る中でこういう動きをするんだ、体のここの部分を使うんだ、というあたりを確認しました。やっぱり他のスポーツと違いましたね」
例えば、ジャンプは片足で踏み切る。
「そのため、やっぱり(身体の左右で)偏ってきますよね。ただ、バランスが悪くなければそんなに問題はありません。あまりに差がついたら、ある程度近寄らせてあげるようにします」
映像はさまざまな時期のものを観た。その中で、フィギュアスケートの変化も感じる。
「昔の映像も観ていますが、体力的な要素という点では、今日は激しくなってきていますね。特に男子は次元が違ってきている。4回転ジャンプに挑んで、しっかり踊るのはかなり大変ですね。体力が一層、求められています」
課題は上半身と下半身のバランス
過去から現在までを調べ、今日の選手たちを研究し、これまでのトレーナーとしての経験を土台に、佐藤に接してきた。
佐藤を見ていく中で、感じたことがあった。
「まだ、体がぜんぜんできていないと思いました。他の競技の、同年代の選手と比べてみて、そう感じます。しっかりトレーニングしてきていない。特に上半身と下半身の差が激しい。最初は腕立て伏せがまったくできなかったくらいです。もちろん、できなくてもいいとは思いますし、マッチョになる必要があるわけでもありませんが、それくらい、下半身とは差がありました」
上半身に比べれば筋肉のある下半身にも課題はあると言う。
「おしりの筋肉と大腿部、腿の後ろの筋肉はもっとつけてあげないと、というところはあります」
体ができていないと感じる佐藤だが、4回転ジャンプを得意とし、それを武器に頭角を現してきた。
「その体でも跳べるというところが、とても魅力的です。おそらくは、『センス』でしょうね。跳ぶセンスがあるからだと思います」
そこにトレーニングの成果が加われば――。まだまだ発展途上、大きな可能性を秘めている。
「(佐藤には)ナンバー1になってほしいです」
こう語ると、言葉を続けた。
「新しい時代を作っていってほしいですね」
佐藤に作ってほしい新しい時代とは何か。中尾は答える。
「表すのは難しいけれど、もっとフィギュアスケートをスポーツとして認識してもらえるような、そういうところを作ってほしい。道を開いてほしいです」
「100」ではなく、少しでも
道を開く、という点に、中尾のこれまでを想起する。
中尾は意外な経歴を持つ。大学では情報工学を学び、その後システムエンジニアとして働いていたことだ。
「当時はITバブルでした。フリーでもぜんぜん食べていけましたし、働けば働くだけお金になりましたし、仕事もたくさんあった。そういう時代でした」
収入も相当の額に上った。その立場を捨ててトレーナーになった。
「やりたいな、という気持ちですね」
高校生の頃からなりたいと思っていたが、当時はそのための学校も見つからなかったから、理系の勉強へと進んだ。すると大学のスキー部のコーチがアルペンナショナルチームのトレーナーをしている人だった。かねてから夢が再燃した。いわば忘れぬ夢を追って、日中仕事し、夜、学校に通いながら実現した転身だった。
トレーナーになってからは地道に取り組み、信頼を重ねて地位を築いた。そのキャリアとプロとしての責任感を佐藤に向ける。
中尾に、トレーナーとしてのポリシーを尋ねた。
「やらないよりやったほうがまし、ゼロよりはちょっとでも1になったほうがいいということ。けっこう日本人は0か100指向が強いんですね。政治もそうだし、意見が分かれたら0か100か。100ではなくても、やれることを少しでもやること」
たとえ少しであっても進み続ける大切さが、その言葉にあった。そして中尾もまた、そうして歩んできたことを思わせた。
中尾公一(なかお・こういち)トレーナー。大学を卒業後、フリーのシステムエンジニアとして働いたあと、トレーナーの道へ。活動を続ける中でさまざまな競技を担当、2013年から2018年には錦織圭の専属トレーナーを務める。今年からフィギュアスケーター佐藤駿のトレーナーに。