経済学博士 鶴 光太郎氏
働き方改革の必要性を理解していない経営者はいない。それなのになぜ、実際の取り組みは生産性向上を中心とする経営課題の解決になかなか実を結ばないのか。慶應義塾大学大学院商学研究科の鶴光太郎教授は、日本企業のかつての強みに問題があるという。そうした過去を、テクノロジーを使いながら破壊することで新たな創造が生まれていく。
かつての強みに固執して変われない日本企業
――働き方改革の必要性が浸透しつつありますが、日本企業の現状をどうご覧になっていますか。
鶴光太郎氏(以下、鶴氏) 働き方改革には長時間労働の是正と生産性向上という二つの側面がありますが、特に長時間労働の是正については、問題があります。正社員の長時間労働を是正すべきだという声は、四半世紀前からありましたが、一向に進展していません。
自動車産業に代表される日本の製造業は、ICT導入以前に、大部屋で、すりあわせなどと呼ばれる人力と時間をかけて情報をコーディネーションする仕組みを作り上げていたのです。そこが、欧米の企業にはない、日本企業の強みでした。
一方で欧米の企業では、個人は個室で仕事をすることが大半で、自分たちに日本企業にあるようなそうした仕組みがないことを知っていたため、インターネット普及前後から、テクノロジーを使ってコミュニケーションを図る手段をつくってきました。ICTは情報コーディネーションのコストを下げるものだと認識されてきたのです。
これは働き方改革だけでなく一般的に言えることですが、破壊なくしてイノベーションはできません。日本企業の働き方改革がなかなか進まないのは、かつての強みを破壊できずにいるからです。
長時間労働は日本の雇用システムと根強く関わっています。日本の正社員は、職務や勤務地、労働時間などを会社に指示され、その通りに従う無限定正社員でした。雇用者の側が、経営者に言われるがままだったのです。景気が良くなり仕事が増えればそれは正社員の残業で解決するのが当たり前とされてきましたが、これは普遍的なものではありません。
いよいよ経済のマイナス成長時代を迎え、労働時間を削減しながら生産性を向上させるため、テレワークは重要な施策になると思っていますし、私が座長を務めている日経のスマートワーク経営研究会の調査でも、上場している大企業の多くはテレワークに前向きであること、進めている企業では効果も出ていることがわかっています。
――テレワークの浸透がスムーズに進んでいる企業とそうでない企業は何が違うのでしょうか。
鶴氏 これまでは、オフィスに不在では何をしているのかわからないといった不安もありましたし、セキュリティにも配慮しなくてはなりませんが、今はほぼ、技術的にクリアできるようになっています。ICTは、働き方改革のもう一つの柱である生産性の向上にも大きく寄与します。
技術をどのように活用するのかは企業によって異なりますが、導入に当たっては、技術の専門家が経営層から独立してしまっているとうまくいきません。猛スピードで成長するAIをどのように企業戦略に結びつけるべきかなどのテクノロジー活用がキーとなる新しい課題は、文系人材の多い経営層だけでは判断できないからです。
かといって、技術動向だけに詳しい人が見極めることも困難です。互いの理解を共有し、一致を見たうえで連携する必要があります。一部の部門に丸投げしても決してうまくいきません。
子育てや介護など特殊な事情のある人にだけテレワークを認めるという企業もありますが、テレワークの本質は、そうした人たちが自宅で働くことではありません。誰もが、最も集中できる場所で働けて、生産性を向上させることが重要です。
その場所は会社でも自宅でも、それ以外の場所であっても良いはずであり、またそれは個人によっても違うはずです。ここに気付いている企業とそうでない企業、言い換えれば、本気の企業と仏作って魂入れずの企業の差は広がる一方です。制度だけつくっても意味がないのです。
働き方改革とは、これまでのような働き方ができる人に対しても、働き方の多様性を認めることです。これまで多くの企業ではある一つのタイプの働き方だけを認めてきました。人事の言うとおりに異動し転勤する、企業側から見て柔軟な人だけが重宝されてきましたが、それでは全従業員が同質化してしまいます。
これまでは同質な人材を育てることが推奨されていました。均質な人材を提供し続けることで生産性を向上させ、そうして増えるパイは分け合うものだったからです。しかし今現在、パイは増えません。だからイノベーションが求められているのです。
そしてイノベーションは、組織の中に多様な人材、多様な働き方をする人がいないと起こりえません。このことは、経営陣だけでなく、すべての従業員が理解する必要があります。理解していないと、テレワークも“やらされているもの”になり生産性は上がらないからです。
こうした方向へシフトすること、具体的には、自分によく似た人を採用する代わりに、どこかわかり合えつつも全く異なる人を採用することは、あうんの呼吸で仕事のできる職場に居心地の良さを感じている人にとっては、職場の居心地を悪くする大きな変革となります。
ですから、できることなら避けたいと思う人も多いでしょう。しかし、人材の流動性の高い企業ほどパフォーマンスが高く、イノベーションも起こしやすいものです。こうした企業では経営陣と従業員の間に「転職してしまうのでは」「評価されていないのでは」と緊張感がつきもので、これもまた、居心地が悪く感じるかもしれませんが、そうした緊張感こそ、「なぜ自分はここにいるのか」「なぜこれをやるのか」と自身で深く考えることにつながり、その考えることが生産性を高めることにつながるのです。