50年前、ついにスターへの階段に足をかけた若きボウイの生家、青春の地を訪ねてみました。

ブリクストンの町にある壁画

 デヴィッド・ボウイが亡くなって、そろそろ丸4年が経とうとしている。今年、2019年はそんなデヴィッド・ボウイの出世作にして初期の代表曲「スペイス・オディティ」がリリースされてちょうど50周年だ。

 早くからミュージシャン、シンガーとして活動はしていたものの、なかなか芽が出ず、挫折と挑戦を繰り返していた若きデヴィッド・ボウイは、1969年のシングル「スペイス・オディティ」がヒットしたことによって、ようやく世間の注目を浴び、それを足がかりに後の世界的なアーティスト、大スターに飛躍していった。

「スペイス・オディティ」50周年記念盤広告

 そんな起死回生の1曲が生まれたのはロンドンからちょっと離れた小さな町のベックナムに住んでいたとき。

 今回は、「スペイス・オディティ」50周年を記念して、その小さな町の周辺を遠足してみました。

 1947年1月8日にロンドンで生まれたボウイは、ロンドン南部のブリクストンという街で幼少期を過ごした。ここはボウイの生まれ故郷としても有名で、ボウイの壁画が作られたり、ボウイの肖像を使った地域通貨が発行されているほど。ボウイが育った家は現存していて1970年代にボウイがスターになってからは観光地化してしまい、代々の住人はいずれも迷惑してきたそう。

スタンスフィールド・ロードにある生家
町のあちこちに記念の掲示がある

 ボウイ一家は、ボウイが5歳になる頃から転居を繰り返し1957年からはケント州のブロムリーに居を構えることになった。ロンドンから電車で20分ぐらいのブロムリーの町は、今でこそ駅前にアップル・ストアが入る巨大ショッピング・モールがあるような郊外の賑やかな所だが、1950〜1970年代は本当に静かで落ち着いた住宅街だったようだ。

 いま現在、街中をぶらぶらと歩いてもモールやHMV、ブランド・ショップが並ぶ中心地から5分も経つと店はパブぐらいしかない住宅地になる。こんな静かな町で、あのデヴィッド・ボウイは育ったのだなあと、ちょっと不思議な思いにもとらわれるが、この町はボウイの後にもビリー・アイドルやスージー・スーが生まれ育ち、近郊の町ではジャパンのデヴィッド・シルヴィアン&スティーヴ・ジャンセンなども住んでいたなかなかの音楽家の名産地(?)でもある。

 この町でボウイが通っていた高校も見物してみた。当時の名称はブロムリー・テク・スクール。ボウイはこの学校でガール・フレンドの取り合いで友人と喧嘩をして殴られ、片方の目の瞳孔が生涯開きっ放しになってしまう大けがも負った。