その高校はブロムリーの駅前からバスで20分ほどかかるすごく辺鄙な場所にあった。今ではレヴンス・ウッド・ハイスクールと名前を変えて有名な進学校になったようだが、学校の隣は今も牧場で、往時ののどかな風景はそのままだ。
そんな郊外の静かな町に育ったボウイはやがてミュージシャンとしてデビューし、家を離れ、ロンドンに一時住んだ後はブロムリーの隣町のベックナムを音楽活動の本拠地とした。出世作の「スペイス・オディティ」が生まれたのがまさにこの町だ。
この頃にボウイの世話をしていたマリー・フィニガンという女性の、ベックナムとボウイの関係を綴った『Psychedelic Suburbia』(JORVIK PRESS 2016)を読むと、1960年代末らしいスィンギング60’sとヒッピー・カルチャーが入り混じった生活をボウイは送っていたらしい。
ベックナムの町の中心地にある“ザ・スリー・タンズ”というパブで定期的に「ベックナム・アーツ・ラボ」という、音楽とライト・ショーや詩の朗読、ダンスなど各種メディアをミックスしたイベントを開き、ロンドンからは有名なアーティストやラジオDJが訪れるなどの精力的な活動を行なった。静かな町にできた文化の特異点みたいな不思議なスポットになったらしい。
そんな往時の様子を想像しながら町を歩いていたら“ザ・スリー・タンズ”の建物がまだ残っていた。今では“ジジ”という変哲のないイタリアン・レストランになっているが、外壁にはボウイがここでアーツ・ラボをやっていたという記念の碑が掲げられている。
建物自体は当時のままらしいが、外から眺めると内装はずいぶん現代的だ。50年は長い。建物の向かいが日本式ラーメン屋というあたりにも歳月の長さを感じたりもする。もしボウイがこの町で「スペイス・オディティ」を書かず、鳴かず飛ばずで一般人となってこの町に住み続けていたら、その店で味噌ラーメンなども食べていたのだろうか。
元“ザ・スリー・タンズ”からさらに15分ぐらい歩くと、クロイドン・レクリエーション・グランドという広い公園がある。
ボウイはこのベックナムでの活動の集大成として1969年8月16日の土曜日に『ザ・ベックナム・フリー・フェスティヴァル』という無料コンサート・イベントを主催した。ボウイの音楽仲間が集まり、自分自身も当然ソロ・パフォーマンスを行なって、シングル・リリース直前の「スペイス・オディティ」も歌った。