3000人の観客が集まった大成功のこの催しはボウイにはとても感慨深かったようで、この年にリリースしたアルバム『スペイス・オディティ(デヴィッド・ボウイ)』にはこの日のこと歌った「フリー・フェスティヴァルの思いで」という曲が入っている。後にシングルにもしたように、本当に思いで深いイベントだったようだ。
その舞台となったクロイドン・レクリエーション・グランドはまったく当時のままだ。ただ、もちろん、普段は町の公園。ロンドン近郊にはどこにでもある広大な芝生の広場。訪れたのはもう夕暮れ近くだったが、サッカーに興じる子供達の影が芝生に長く伸びていた。のどかで穏やかな光景だ。
だが、そんな公園の中にはイベントのときにボウイが楽屋として使用した東屋がそのまま残っている。東屋の鉄柵には、ファンによる今は亡きボウイへの追悼のメッセージもたくさん飾られて風に吹かれていた。
サッカー・ボールを追いかけている少年たちは、はたしてデヴィッド・ボウイのことを知っているのだろうか。
ボウイはやがて、音楽仲間たちと一緒にハドン・ホールという19世紀に建てられた邸宅で共同生活を始めた。ここで『世界を売った男』や『ハンキー・ドリー』、代表作の『ジギー・スターダスト』というアルバムの曲を創造していくことになる。
ベックナムの駅(ベックナム・ジャンクション)からベックナム・ヒル・ロードという道を名前の通り丘の上に向かって20分ぐらい歩くと、そこがハドン・ホールのあった場所となる。
ハドン・ホール自体は今は建物は取り壊され、集合住宅が建っていた。その建物の脇には古い階段や大きな木が残されており、それらはおそらく当時のままの姿なのだろう。
かつてボウイはハドン・ホールで物議を醸したドレス姿の写真を撮って、それをそのまま『世界を売った男』のジャケットにしたのだった。そうか、ここか。
建物はないけれど、この自然がいっぱいののどかな町で、ボウイはそんな風紀紊乱者になったのだった。近所の人はどう思っていたのだろう。