田沼時代の賄賂横行を招いた江戸幕府の税制、今までは困らなかった、商人や職人に対する正規の徴税システム 撮影/西股 総生(以下同) (画像1/12) 江戸城天守台の石垣 (画像2/12) 川崎市の橘樹郡衙遺跡。律令制下では各地に国衙や郡衙が置かれて徴税にあたった (画像3/12) 律令制下の租庸調も荘園公領制下の年貢・官物も基本は田畑への賦課が基本だった (画像4/12) 埼玉県の河越館跡。平安後期~鎌倉時代に当地を支配した河越氏は入間川の水運からも益を得ていたといわれる (画像5/12) 長い戦乱をへて成立した幕藩体制は米経済をベースとしていた (画像6/12) (画像7/12) 八王子城の御主殿跡。北条氏照は八王子築城に際して鍛冶師を城下に集住させた (画像8/12) 商人の営業利益を正確に捕捉する徴税システムは存在しなかった (画像9/12) 上層の町人たちは運上・冥加という名目の上納金を出すことで営業権を確保していた (画像10/12) 幕府は現金による税収を強化する必要に迫られていた (画像11/12) 大坂城に現存する御金蔵。同様の建物は江戸城本丸にも何棟も建っていた (画像12/12) 田沼時代の賄賂横行を招いた江戸幕府の税制、今までは困らなかった、商人や職人に対する正規の徴税システム この写真の記事を読む