平安末期には存在していた「江戸」という地名、意外に知らない「江戸城」が今ある場所に築かれた理由 撮影/西股 総生(以下同) (画像1/8) 現在の江戸城天守台から見た本丸。道灌の江戸城もこの場所にあった (画像2/8) 埼玉県嵐山町の菅谷城址に立つ畠山重忠像(実際には城と重忠は関係なさそうだが) (画像3/8) 江戸城西ノ丸下(皇居外苑)から見た大手町のビル街。かつてこのあたりは砂浜や浅瀬だった (画像4/8) 長野県上田市別所にある安楽寺八角三重塔。同寺は鎌倉時代に執権北条氏の庇護で栄えた (画像5/8) 日暮里駅前に立つ太田道灌像 (画像6/8) 江戸城西ノ丸にある道灌堀。実際には戦国時代の遺構ではないが、昔風の土造りの堀としてそう呼ばれるようになったものか (画像7/8) (画像8/8) 平安末期には存在していた「江戸」という地名、意外に知らない「江戸城」が今ある場所に築かれた理由 この写真の記事を読む