印象派よりもバルビゾン派

 若い芸術家たちが選んだ最大の渡航先は、芸術の都パリだ。パリではサロンをはじめとする伝統ある展覧会に加え、1874年に「第1回印象派展」が開催されるなど、従来の芸術の価値観を覆す新しい潮流も生まれている。さらに街の近代化も著しい。見たこともない刺激的な建物やカルチャーが次々に誕生。スウェーデンの画家がパリを目指したのも当然のことだろう。

 だが、印象派による新しい表現は、スウェーデンの画家たちの好みには合わなかった。カール・ノードシュトゥルムら印象派に魅了された画家はいるものの、むしろそれは少数派。母国スウェーデンの豊かな自然の中で暮らした画家たちは、印象派よりも人間や自然の姿をありのままに描くバルビゾン派の自然主義やレアリスムの作風を好んだ。画家でいうと、カミーユ・コローやジャン=フランソワ・ミレー。スウェーデンの画家は彼らに倣って、戸外での制作を重視するようになる。

「ABC」の画家のひとり、カール・ラーションも同様。ラーションは初めはパリに滞在するが、1882年にパリの南東約70kmに位置するグレ=シュル=ロワンに移った。この村は「芸術家村」として有名で、世界各地から外国人芸術家が集まり創作活動に励んでいる。日本人では黒田清輝や浅井忠が滞在した。

 当時、ラーションは無名の画家であったが、グレ=シュル=ロワンでの戸外制作を通じて水彩技法に出会い、繊細な光にあふれたみずみずしい風景画を描いている。水彩画はラーションの“看板”のひとつとなり、この地で制作した水彩画はパリのサロンで3等を受賞。その名声は母国スウェーデンまで届いた。