多角化とため息

そもそもはエノキ(とブラウンエノキ)が中核の玉光園に、このような職人の専門店スタイルを導入したのは博子さんなのだという。エノキはいわゆる規格品、Ready-madeだ。グラムいくらで売り買いされるものなので質の善し悪しは評価されづらい。そしてその分野は大規模生産者の方がどうしたって有利だ。

「エノキに関しては温度管理がシビアで、年々、暑くなっていますから電気料金も大変。大手は体育館みたいなところで育てるんです。ウチは昔ながらの小さな教室?」

うまく説明できるか分からないけれど、と博子さんが説明してくれた。

「じゃあ、大手と戦えるウチの強みって何なのか。この小ささを活かして品目を増やし、お客さまに選んでもらおうと考えたんです。お客さまからは、シメジはやってないの? 玉光園のエリンギを食べてみたい、というお声をいただいていたんですよ」

よく聞いてみれば、エノキの時点で玉光園の質は分かる人には分かるもので、指名買いもあったようなのだ。そもそも、この地域は特にキノコが有名でもなく、宮崎県で言っても同様の栽培業者は玉光園含めてわずかに3社。厳密な菌の管理が必要なエノキ作りにはおいそれと新規参入も出来ない。そこで、キノコヘッド・古川喜一朗が頼まれもしないのに「玉光園として恥ずかしいものは出せない!」とひたすらに質を追い求めていれば、目立つのも当然といったところだろう。

「ただ、シメジをやろう、エリンギをやろうと私が言っても彼は否定的で、どうにか説得していざやりはじめたら、毎日お風呂場から大きなため息が聞こえてくるんです……」

それは「玉光園として誇れるキノコができていない」という自責の念からのため息だったそうで、そんなときにちょうど近隣のキノコ工場の閉鎖の話がでて、そこを借りてエノキ作りと場所から切り分けることでようやく納得できるシメジやエリンギを作れるようになったのだそうだ。

温度、湿度、換気のタイミング、さらに菌床への水を入れ方まで緻密にコントロールして、喜一朗さんが間違いがないかを確認する。効率よく生産しているというエノキでも、その程度の手間をかけるのが普通で、ジメジ、エリンギ、黒アワビ茸となると、キノコごとにさらに細かく調整する。照明の色まで変えるという

「そこで現実の厳しさを知るんです」

とは喜一朗さん。

「珍しくないものでは価格設定がしにくい」というのが理由だそうで、いくら優れたシメジでもシメジは他のシメジの値段にひっぱられる。であればもう、誰もやっていないキノコをやるしかない、として選ばれたのが黒アワビ茸だった。

ただ、これは誰もやっていないもいいところで、日本にいる数軒の生産者はいずれも原産国である台湾から輸入した黒アワビ茸を育てているだけだった。玉光園は1から黒アワビ茸を作らなければやる意味がない。沖縄の試験場に問い合わせてようやく一軒の生産者を見つけて種菌を入手したのだという。それを喜一朗さんがキノコヘッドぶりを遺憾なく発揮して、ものにしたのだった。

経済と特別

さて、この黒アワビ茸の前にはもうひとつストーリーがある。それがいわゆる6次化だ。これも博子さんの発想。

「キノコが分かる人は多少無理をしてでも玉光園を選んでくださる。でもそこまででもない人にも食べてもらいたかった」

加工品にすれば保存がきいて商圏の制限がなくなるし、手に取ってもらいやすいのではないか? という発想だったそう。6次化には県からの補助金が出る。半年間の補助金獲得に付随するマーケティングや品質管理の講座を受講し、商品化にこぎつけたそうだけれど、動機が「食べてもらいたい」だったため、レシピは博子さんの手作り状態で、具体的な売り先も考えていなかったそうだ。

これが「意志あれば道あり」で、ヨーロッパの大使館のシェフを歴任した元公邸料理人の地井潤さんが「小林市は母の故郷」と監修してくれたり、福岡の明太子屋さんとのコラボが決まったりと形になる。

ソースはオイルソース、トマトソース、ディップソースの3種類。この3つで、野菜、パスタ、肉のように一種のコース状態にできるように設計されている

そしてこれをもって商談会に参加したところ「炊き込みご飯ないの?」との声があり、それも商品化。こちらは喜一朗さんが、食感から使うキノコのバランスまで徹底的に口出しした結果、玉光園のキノコならではの味わいが引き出された逸品として完成に至る。

キノコは乾燥させることで旨味や香りが深まる。また玉光園のキノコが持つ甘みが引き出されているのも特徴

面白いのが「炊き込みご飯の素なんて世の中にいくらでもある。価格勝負になって売りようがない」と最初は喜一朗さんは反対したというエピソードだ。おそらく、それは経営者としては正しいものの見方なのだろう。ただ、これは私の完全な憶測だけれど、博子さんは喜一朗さんのキノコはそういう次元にはいないと確信しているように感じた。

私はこれまで何度も、ワイン好きになぜワイン好きになったのかをたずねて「コルクを開けた瞬間から、その香りに、千変万化の味わいに、別の世界に迷い込んだかのような体験をした。ワインに興味のなかった私に、こんなスゴいものが世の中にあるのか! とおもわせてくれたのが、あのワインです」という話を聞いてきた。そういう体験をした人にとって、そんな人生を変えた一本と勝負できるレベルにないワインは、そもそも同じワインとは見なされない。

似た形をしただけの別物と比較したってしょうがない。喜一朗さんのキノコを一番近くで見ている博子さんは、根本の部分でそうおもっている。私には、そんな風におもえてならなかった。