文=細谷美香

人々の夢のなかに次々と登場する「彼」

 プールサイドで落ち葉を掃除している禿頭の中年男と、ガラスのテーブルの脇に座っている少女。突然空から何かが降ってきてガラスがガシャンとものすごい音を立てて粉々に割れ、少女は驚きの声をあげる。しかし中年男は一瞥しただけで、何事もなかったかのようにそのまま掃除を続ける……。少女は中年男の娘で、こんな異様な夢をすでに何度か見ているのだという。

 オープニングで一気に観る者を不穏で摩訶不思議な世界のなかに引きずり込んでしまう『ドリーム・シナリオ』。愛すべき怪優、ニコラス・ケイジのフィルモグラフィに、またとんでもなく独創的な作品が加わった。

 ポールは妻とふたりの娘と平凡な暮らしをしている大学教授。ある日、ポールが何百万人もの人々の夢のなかに現れるという、説明し難い現象が起こる。自分は何かをしたわけでもないのに、一躍有名人になったポール。生徒たちからの注目も集め、取材を受けたり、念願だった本の出版を持ちかけられたりと、有頂天になっていく。

 ケイジの出演作を振り返ってみると、フィリップ・K・ディックの短編を映画化した『NEXTーネクストー』には分身の術のようにケイジが何人も出現するというお得なシーンがあったり、『アダプテーション』ではスパイク・ジョーンズ監督のもとで双子を演じたこともある。

 今回の『ドリーム・シナリオ』は人々の夢のなかに次々と彼が登場する“ニコラス・ケイジ映画”の最上級とも言えるのだが、目の前で交通事故を目撃しても、地震が起こってもただ見ているだけ。やがて夢のなかのポールが暴力的になったことで、世間の人々はポールを忌み嫌うようになるのだ。

 夥しい数の人々の夢に登場するというポールをインフルエンサーとして捉え、スプライトの広告に利用しようとする者も登場する。監督は承認欲求や自己愛をこじらせてSNSでモンスター化していく主人公を描いた『シク・オブ・マイ・セルフ』のクリストファー・ボルグリ。名声を得ること、失うこと、そしてキャンセル・カルチャー。ボルト監督は悪夢とSNS社会への風刺を結びつけて、古典的かつ現代的な作品を完成させた。『ミッドサマー』のアリ・アスター監督が才能に惚れ込み、製作に参加している。

 何よりもこの作品に説得力を与えているのは、自身もネットミーム化した経験を持つニコラス・ケイジの名演だろう。戸惑い、高揚感、虚しさ、おびえ、悲しみ、情けなさ、混乱……、あらゆる感情が彼の表情から伝わってきて、一瞬たりとも目が離せなくなる。

『マッシブ・タレント』では自分の分身とも言える主人公を演じてパロディ精神を感じさせるなど、自分を客観視した出演作選びをしているケイジ。奇妙な夢の袋小路に迷い込みながら、彼の俳優としての持ち味を存分に味わえる作品としても見応えがある作品だ。